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笑い話

​第二章

 幼稚園の頃、私は周囲から隔離されて育てられたそうです。育てられたそうですという言い方をするのは、私自身、記憶が曖昧だからです。ただ、同年代の子供と一緒に過ごすよりも、大人たちと狭い部屋でパズルをしていた記憶の方が、圧倒的に多いことだけは、よく覚えています。私には、子供たちのひしめく教室で過ごした記憶が、極端に少ないのです。隔離の理由はわかりません。ただ、親の過保護がそうさせたのだろうと、推測はできます。今になって思えば、この隔離経験が、後年、影を落とすことになったのかもしれないと、思わないわけでもありません。

 小学校では一転して、「サル山の王」とでも言うべき存在になりました。理由はまったくシンプルです。テストの成績がよく、体育の成績もよく、図画工作のセンスもあり、三年生で入った吹奏楽のクラブでは、どんな楽器でも、与えられた瞬間に扱いこなすことができたからです。おまけに、顔立ちも幼いながらに端正な形をしていましたから、小学生という無知で無垢な存在を圧倒するには、十分すぎる資質を持っていました。

 テストや運動、図工や楽器のスペックで他者を圧倒することは、当時の私にとって、麻薬のような甘さを持ちました。学期の通信簿を配られた時、私はわざとその紙を大きく広げて、神妙な顔で、少しだけ首をかしげながら、机に座ってそれを眺めるのです。すると私の思惑通り、一人の男子生徒がそれを覗き込んでは、「やばい、カズちゃん、やばい」と騒ぎ立て始めるのです。そうすると、数人の他の生徒もわらわらと集まり始め、私のオール五の通信簿を眺めては、やはり同じように騒ぎ立てるのでした。私は後年になっても、これ以上の快感を味わったことはありません。そうです、ここが、私の人生のピークなのです。

 自分の能力を振りかざすことには快感を覚えていましたが、色恋に関しては、そうでもありませんでした。何度か、遠巻きに「誰々はカズちゃんのことが好き」という噂を聞くことがあったのですが、不思議と、嫌悪の気持ちしか湧かなかったのです。

 それはもう、恐ろしく燃え上がるような嫌悪でした。透明な心を垢まみれの手で、ペタペタと触られた心地がしたのです。初めてそんな類の噂を聞いた夜なんかは、私は、ただひたすらに家の廊下をうろついては、頭の中に巣食ってしまった黒くて恐ろしい怪物を、追い払わなければならないはめになりました。私は相手を憎みすらしました。憎くて憎くて、学校でも憎しみを隠すことをせず、ただその相手に軽蔑の視線を向けました。ですが、その軽蔑の視線が、相手にどのような影響を及ぼしたのかまでは、知ることができませんでした。

 一人だけ、例外と呼べる存在がいました。ミキオくんという、同じクラスの男の子です。私なんかは皆から、教師すらも、尊敬と羨望の眼差しを向けられていましたから、皆、どこか下からの目線で私と接するのです。端的に、私は、一般に「普通」とされる人間関係の温度とは、どこか違うものを持っていました。ですがミキオくんは、そんな私とは違い、誰とでも適正な温度で、適正な量の友人達とつるみ、適正な範囲に収まる成績と感性を持つような人でした。そんなミキオくんは、私に対して、ほんの少しだけ、他の生徒よりも近い距離で接してきました。

 印象的な出来事を二つだけ紹介します。ミキオくんは文化祭でクラスの演劇をする際に、舞台裏で、「僕、緊張してるんだ。ほら、心臓の動き、早いでしょ」と、私の手を取っては、自分の胸に軽く押し当てました。その時の私は、その行動の意味が理解できず、「普通の人のやることはよくわからない」「文化祭程度で緊張するなんて、普通の人の緊張の閾値とはこうも低いものなのか」と、ただ無感情に思うだけでした。六年生の時の箱根の修学旅行では、五、六人の班で美術館を回る予定だったのですが、私がトイレに行っている間に、他の班員たちはなぜか、どこかに姿を消しており、ミキオくんと私の二人だけになっていました。私が「他の皆を探そう」と言ってもミキオくんは「別に大丈夫だよ。このまま二人で見よう」と頑なに言い張り、私はここで喧嘩をするのもなんだと思ったので、結局は最後までミキオくんと二人で美術館を回りました。今になって思えば、それはつまり、そういうことだったのだと思います。ですがそれは、あまりに巧妙に隠されていて、私がその種の話題に過敏になっていた時期を何なく通り過ぎたからか、あるいは、俗世のノリというものから浮いた歪な健気さに、ある種の聖性が見出されたからか、私はミキオくんを憎む気にはなれませんでした。

 とはいえ、ミキオくんとはたったそれだけの関係であり、特段、親友と呼べるような仲にもなるわけではありませんでした。ですが思い返せば、ミキオくんは、私の人生において唯一と言える存在だったように思います。

 次に中学の話をします。中学ではさらに一転し、私は、堕落していきました。私はサル山の王から、不気味で醜い妖怪に成り果てたのです。

 私は中学で受験して、進学校へと進みました。進学校と言っても、今になって思えば、田舎のちっぽけな学校です。進学校という言葉のかしらに「自称」とつけても差し支えありません。ですが当時の私は、進学によって、エリートの仲間入りをするのだと、そして、それは私にとっては当然の道筋なのだと、少しも疑うことなく思いました。

 進学校と言えば、多くの人は、私立を思い浮かべるのでしょうが、私が進んだのは県立の学校でした。私の地元(言い忘れてしまいましたが、私は栃木の田舎の出です)には、県立の進学校があったのです。今では私の家は裕福だったのだとわかりますが、当時の母親の口癖は「もったいない」「そんなことにお金は使えない」「もっと節約しなければ」でしたので、私は「この家は貧乏なのだ」と本気で思い込み、莫大な授業料を請求されることもない県立の学校を選ぶのは、ひどく合理的な判断に思えました。とにかく、私は納得して、その学校に進んだのです。

 私の小学校は、田んぼに囲まれている、人口も少ない学校でした。いくらサル山の王と言えど、そこが世界の頂点ではないことくらい、理解していました。むしろ、その程度の環境で一番を取るのは当然のことであり、もしどれか一つの分野でも劣るようなことがあれば、人間として終わりだとすら思っていたのです。ですから私は、進学校に夢を見ました。進学校において認められればこそ、私は「本物」になれると思ったのです。「本物」という語が具体的に何を指すのかは、今でもよくわかりませんが、とにかく、そう思ったのです。

 私は夢を見ていました。進学校でなら、小学校では到底あり得ないような、科学的・哲学的議論が日々交わされるものだと思い込みました。それはもう、驚くほどに無邪気で、強烈な思い込みでした。私は、胸に期待を抱きながら、しかし、同時に、ひどく萎縮しました。猪すら出るような田舎の人間では、都会の人間の持つ教養には到底敵わないのだろうと、本気で思ったのです。東京を知った今では、あの進学校も十分に田舎だと思っていますが、なんせ当時は林や田んぼに囲まれた環境にずっといたものですから、少し建物が密集しているだけで、そこは都会なのだと錯覚したのです。

 部活動に入るつもりは、はなからありませんでした。後に入部を勧められることにもなるのですが、それでも入りませんでした。私は小学校で吹奏楽のクラブに入っていましたから、そこで学んだのです。「団体行動とは、こうも待ち時間が多いものか」「自分一人が突出しても、周りが下手であればなんの意味もないではないか」「無駄だ、無駄があまりにも多すぎる」と。であれば、一人で勉学を突き詰めることが合理的であると、そう判断したのです。

 つまり何が言いたいかと言えば、私は、人生で一度も「部活の青春」というものを味わわずに、中学と高校の時代を終えることになるのです。これに関しては、人生においてプラスに働いたのか、あるいはマイナスだったのか、今になってもよくわかりません。ただ、人生の様々な局面で、他者との隔たりの要因になることは確かでした。

 進学後の、クラスの話をしましょう。結論から言います。私は、失敗しました。私は、サルの言語は理解しても、人間の言語はまるで理解していなかったのです。ゆえに、誰にどう話しかけるべきか、まるでわからなかったのです。さらに、運が悪かったのか、それとも、私から滲む醜悪さがもたらす必然だったのか、わかりませんが(おそらく後者でしょう)、誰一人として、積極的に私に話しかけてくる人間はいませんでした。私は孤立しました。

 自分は所詮、サルの王でしかない。人間なのではない。だから馴染めないのは、仕方がない。そう思い、私はクラスメートとの交流を早々に諦め、皆が雑談に花を咲かせる休み時間も、読書にふけりました。机に突っ伏して寝たふりをし、ただひたすら、思索にふけりました。孤独は悪いものではありませんでした。自分を自由な空想の世界に連れて行ってくれる、最良の友に思えました。

 ですが、邪魔者が現れました。担任の教師です。担任はクラスの生徒をよく観察する人間でした。そして、ごく一般的な道徳観を持つ人間でした。おそらく担任は、こう思ったのでしょう。

「孤立は悪」

 ゆえに私は、真っ先にターゲットにされました。休み時間、そして昼食の時間、一人で過ごしていた私は、始終担任の視線を感じることになるのです。かわいそうな、保護すべき者を見つめる、憐れむような目。これは私にとって、最大級の屈辱でした。俺は憐れまれる人間ではない。俺は常に尊敬される人間だった。サル山の王としての記憶が、強烈な屈辱感を引き起こしたのです。

 そのうちに私は思うようになりました。もしかしたら他の生徒たちも、同じように思っているのではないかしら、つまり、私のことを「かわいそうな」人間だと思っているのではないかしら、と。孤独は悪いものではありませんが、それによってかわいそうだと思われることは、許せませんでした。そこで私は、人間観察を始めました。ここで初めて、きちんと人間の言語を覚えて、人間の輪に入っていこうと考えたのです。思えばこれが、私の初めての能動的な努力だったように思います。

 さて、観察の結果は、どうだったでしょう。答えは、「何もわからなかった」でした。

 そうです、なんと私には、彼らの言語が、一ミリもわからなかったのです。今ここで、彼らの言葉を思い出そうとしても、何も出てこないのです。中学生が大学の難解な数学書を読んで、その内容を思い出すことも説明することもできないように、私にはさっぱり、彼らの言語がわからなかったのです。ただ一つわかったのは、彼らは、科学の話も哲学の話もしていないということだけでした。

 私は途方に暮れました。私は人に話しかけること自体は怖くありません。用事さえあれば、どんな人間にも話しかけることができます。しかし、その「用事」がなかったのです。こんにちはという言葉の後に、何も続けることがなかったのです。

 私は途方に暮れました。自分から話題を提供できないならと、曖昧な笑みを浮かべながら、既に会話が形成されている、雑談中の五、六人のグループにすり寄りました。しかし彼らは、私の気配に気がつくなり、微妙に体をずらし、巧妙に私をその輪から弾き出すのです。悲しさはありませんでした。むしろ、当然の反応だと思いました。不気味で汚らわしい、得体のしれないサルが近づいてきたら、誰だってそうするでしょう。ただ小蝿をはらうように、私をはらった、それだけのことです。

 そうです。私の自認は、いつの間にか、不気味で汚らわしい、得体のしれないサルになっていました。あるいは、妖怪でもいいかもしれません。餓鬼、河童、垢舐めあたりが妥当でしょうか。とにかく、ちっぽけで、それでいて、他人にどうしようもない、ぞわぞわとした不快感を誘発させるような、そんな存在になっていたのです。教室でクラスメートと目が合うたびに、ああ、自分はその奇怪さにより、相手に不快感を与えているなと小さな罪の意識を抱えながら、トイレで鏡を見ては、おや、自分は存外人間らしい形をしているぞと、毎度々々新鮮に驚くのでした。



第三章

 中学に入学して、一、二ヶ月経ったあたりでしょうか。転機が訪れました。なんと、私に、女の子が話しかけてきたのです。
 女の子が話しかけてきたというと、「なんだ、ラッキーじゃないか」「いやいや本当にそんなことがあり得るのか?」と思われるかもしれません。ライトノベルのような、刺激的で甘い期待をする方もいるかもしれません。これから自慢話が始まるのかと思われるかもしれません。ですが、はっきりと言います。私は本当に女の子に話しかけられ、そしてそれは、地獄の始まりだったのです。言ってしまえば、女の子は、本当に悪魔のような子でした。思わぬ副産物もなかったわけではありませんが、その子は徹底的に私の自己像を歪め、人格を歪め、破壊し、私に、確かな後遺症を残していったのです。
 女の子はアイちゃんという名前でした。隣のクラスの女の子でした。入学して日が経ち、ちょうど私が卑屈になり切っていた頃、沈んだ顔でのろのろと通学路を歩いていた時に、突然、話しかけてきたのです。
「ねぇ、一年生だよね?」
 そんな感じの、第一声だったと思います。
「ずっと話しかけようと思ってたんだよね」
 そう言って、アイちゃんは私と横並びになり、一方的に話をし始めました。
 私が何も言わずとも、彼女は話をしてくれる。
 人間の言語がわからなかった私にとって、彼女はこれ以上ないくらい、適切な教材に思えました。(先に言っておきますが、後年になって、それは誤りだったとわかります。)そして、孤立は恥なのだと内面化し切っていた私にとって、彼女は、たった一人の救世主に思えました。
 人は理解できない言語に出会った時、どうするでしょう。答えは、少なくとも私にとっては、それを「丸暗記する」です。私は大学で研究を始めたばかりの頃、ゼミで他者の論文を発表しなければなりませんでしたが、内容がまったく理解できず、結局、文面をそのまま暗唱したことがあります。噛み砕くことができない。私は、理解の範疇を超えた出来事に遭うと、それをまったくそのまま模倣することで乗り切るのです。アイちゃんに対する私の学習態度は、まさにそれでした。人間の言語を理解できなかった私は、アイちゃんの言動をそのままの形で学習することにしたのです。彼女は一瞬にして、私の絶対的な教師となり、絶対的な神となりました。
 アイちゃんは多くのことを話しました。昨日見たテレビ番組の話、部活の愚痴、その他、諸々。(本当はもっとたくさん具体例を列挙しようとしましたが、ごめんなさい、やはりここでも私は、雑談の内容を思い出せません。)
 アイちゃんは言いました。
「普通、友達に合わせるために、聴きたくもない歌も聴くよね?」
 それはまったく、私にとって、雷の落ちるような衝撃でした。今まで私は、そんな努力を、一度たりともしたことがなかったのです。そんな発想があることすら、知りませんでした。
「普通、〇〇だよね?」
「普通、XXだよね?」
「普通、〜〜だよね?」
 アイちゃんは、「普通」という言葉を多用しました。アイちゃんは絶対的な神ですから、私は彼女の言葉をそのまま学習します。
「人間にとっての普通とは、こういうことなのだ」
 私はこうして、人間の「常識」を学んでいきました。
 ですがここで一点、今になって思えば、奇妙だったと言える矛盾があるのです。私は多くの「普通」を学びましたが、「普通」を模倣することはしなかったのです。先に述べた事例で言えば、私は、人と話を合わせるために聴きたくもない音楽を聴くなどといったことは、一切しませんでした。サル山の王時代の傲慢さが、アンバランスな形で噴き出したのか、あるいは合理性への極度な指向(これは部活に入らなかった理由にも通じます)がそうさせたのか、私にはわかりません。ただ、私は普通を学ぶ意欲の割に、それに同化することはしなかったのです。
 アイちゃんは最初、優しく、純粋な救世主であるように思えました。ですが徐々に、子供特有のねじれた暴力性を見せ始めます。初めは小さなものでした。通学中にアイちゃんは、突然こう言ったのです。
「カズちゃんって、自分の顔、かっこいいと思ってるでしょ」
 ニヤニヤと、試すような笑顔でした。私は小学生時代の扱いを思い出し、自分の容姿が優れていることの客観的証拠は十分だと思いましたから、曖昧に「うん」と頷きました。するとアイちゃんは、途端に嘲笑うような顔で、あからさまに口元を歪めながら「へぇ、そうなんだ」と言いました。私のなけなしの自尊心を破壊するには、これだけで十分でした。私は自分を醜いサルだと思いながらも、心の片隅で、「いや、自分はここでは認められていないだけで、本当は優れた側面もあるのだ」と信じていましたから、アイちゃんの言動は、その自己肯定の根拠を一気に幻想の領域に押し込めました。私はこの瞬間、自分の信じていたものは全て嘘だったのだと、強く思いました。今になって思えば、アイちゃんは、明らかに、わざとやっていました。アイちゃんは悪意を持っていました。ですが当時の私は、意外にも人の悪意とは無縁の生活を送ってきましたから、アイちゃんの態度を、真からの評価だと思い込んだのです。
 そのうちに、私とアイちゃんは休日にも遊ぶようになるのですが、アイちゃんは必ず、待ち合わせ時刻から三十分きっかり、遅れてやってきました。初めは何か事情があるのかと思いましたが、毎回毎回、三十分きっかり遅刻してくるので、さすがの私も理由を問い詰めました。するとアイちゃんは、長々と説明を始めましたが、要約すると、以下の二点に集約されたように思います。
「優位に立つ者は、遅れてくるのが当然」
「私は人を待たせることに、快感がある」
 アイちゃんに、反省している様子はありませんでした。アイちゃんはその後もずっと、三十分きっかり遅刻してきました。
 ある時の遊びで、アイちゃんと私は服屋に行きました。「これ、着てみてよ」と、一着のズボンを渡されたので、私は試着室へ向かい、カーテンを閉めて、のそのそと着替え始めました。元のズボンを脱いで、新しいズボンに片足を突っ込んだ、その時でした。勢いよくカーテンが開けられ、アイちゃんが、ニヤニヤとした顔で、私を見ていました。私はパニックになり、脱いだズボンを抱えて、咄嗟にしゃがみ込みました。私は咄嗟に「恥ずかしい部分」を隠したつもりでした。ですがその試着室には、背後に大きな鏡がありました。つまり私のお尻はすべて鏡に映っていて、しかも、しゃがんだことで、お尻はより一層強調されていた形になったのです。思い出しても、この時ほど、間抜けで滑稽だった瞬間はありません。サル山の王としての威厳はもはやどこにもありません。アイちゃんは私を見下ろしながら、声をあげて笑うでもなく、ただニヤニヤと、嘲るような笑みを浮かべていました。これが、私が自分の身体を恥ずかしいと思った、最初の経験でした。
 アイちゃんはそのうちに、自分を隠さなくなっていきました。あるいは、自己演出が過激になっていったのだと、解釈してもいいかもしれません。アイちゃんは、自分が小学校ではいじめの主犯格であったことを、武勇伝のように語りました。いじめの詳細、例えば同級生からお金を巻き上げた経験なども、楽しそうに語りました。将来は弁護士になって、悪人の弁護をしたいとも語りました。私は、いくら人間の言語がわからなかったからといって、これを正常だとは思いませんでした。むしろ、はっきりと、彼女は許されざる悪なのだと認識しました。私は、自分の能力により同級生を圧倒することはあっても、悪意を持った加害はしてこなかったのです。私はアイちゃんに「それはダメだよ」と言いました。しかしアイちゃんは、「カズちゃんって、そう思うんだ」と、やはり嘲るように笑うだけでした。いつしかアイちゃんは、私の中で、人間ではなく異星人のカテゴリに入るようになりました。そして、異星人としか付き合えない私自身を知覚することで、自分がより一層、惨めに感じられました。
 その後もしばらくの間、アイちゃんとの関係は続きます。毎朝、同じ時間の、同じ車両に乗って、二人で並んで登校しました。アイちゃんは毎朝、私の精神の脆弱なところを揺さぶり、棒でつついては、私の心が壊れていくのを楽しみました。私はこの関係が有害であることをわかっていました。それでも、関係を切ることができませんでした。アイちゃんは異星人であっても、表面的な姿は人間であり、つまり、私とアイちゃんが横並びになっている状態を他のクラスメートや担任に示すことで、私は憐れまれる存在ではないことを証明できたからです。
 アイちゃんは、私以外には、その有害な側面を見せていないようでした。アイちゃんには友人が複数おり、私も、その中に入れてもらえることがありました。そうなのです、私はアイちゃんという異星人を通して、ついに、人間の輪に入ることができたのです。ですが私が学んだのは異星人の言語であり、私は、アイちゃんを通してしか、人間と関わることができませんでした。私は、人間の言語を習得していませんでした。
 とまあこんな感じで、アイちゃんとの日常は続くわけですが、この日々が永遠に続くことはありませんでした。卒業して離れただとか、どちらかが転校しただとか、そんな話じゃありません。私から、別れを切り出したのです。(恋人でもないのに「別れを切り出す」と言うのもおかしな話ですが、本当に、そうとしか言いようがないのです。)一年生の、冬のことでした。
 特に大きなきっかけはなかったように思います。ですが、ある時、ふと思ったのです。
「友達がいないことよりも、いじめられる側に置かれながら、それに反抗せずに付き従うことの方が断然惨めなのではないか?」
 一度そう思うと、それはますます正当な感覚に思えました。私は一、二週間悩みました。そして、意を決して、告げることにしました。「もう一緒に登校するのはやめよう」と。
 今になって思えば、違う車両に乗るなどして、静かにフェードアウトでもすればよかったと思います。ですが当時の私には、あまりの経験値の少なさゆえか、そんな器用な発想など、一ミリたりとも思い浮かばなかったのです。私は馬鹿正直に言いました。もう一緒に登校するのはやめよう。学校に着いて、下駄箱で靴を脱いでいるタイミングだったと思います。
 アイちゃんは面食らっているように見えました。いつもの嘲笑うような調子はどこへやら、急にあたふたとした様子で「なんで?」と言うのです。なんで、とは、なんとおかしな質問でしょう。この人は今までの行いを自覚していなかったのでしょうか。私は色々と言いたいことがありましたが、一言でまとめるのは難しく、ただ「一緒にいるのはつらいから」とだけ言いました。アイちゃんは何も言いませんでした。
 廊下を無言で並んで歩き、教室の前で別れる時、アイちゃんは静かに聞いてきました。
「わたし、どうしたらいいのかな?」
 今度は私の方が面食らいました。まさかアイちゃんから、そんな質問が出てくるなんて。これまた言いたいことが色々とありましたが、やはり一言でまとめるのは難しく、私は「もっと人に優しくしたらいいんじゃないかな」とだけ言いました。アイちゃんは無言で自分の教室に入っていきました。アイちゃんはそれ以降、私に話しかけてくることはありませんでした。
 こうして私は、再び孤独へと戻っていきました。しかし不思議と気分は軽く、以前ほど、周囲の目線も気にならなくなっていました。アイちゃんやその仲間たちと過ごしたことで、自分は友達らしきものと話せる、つまり、憐れまれるような存在ではないということを十分に周囲に示すことができ、目的は達成されたように思えたからだと思います。私は元々、孤独自体は苦にならない性質でしたから、これ以上、人と付き合う理由はなくなったのです。
 アイちゃんに対する感情は、奇妙に遷移していきました。アイちゃんと離れた当初は、今までに受けた扱いの不当性を強烈に自覚し、彼女の頭をバットの類で叩き割りたい衝動に駆られました。しかし、ちらと見た人間たちと話すアイちゃんは、随分としおらしくなっているようで、さらに後々私たちは同じクラスになるのですが、言葉を選ばずに言えばアイちゃんは「没落」しており、その没落ぶりにもの悲しさが湧いてきて、私の憎しみは行き場を失ってしまいました。後年のアイちゃんは、これまた言葉を選ばずに言えば、成績も性格もその他技能も「パッとしない」女子生徒、たった一人だけとだけつるんでおり、その女子生徒に対して、私にしていたように嗜虐心を振りかざしているのかと思えば、逆にその女子生徒には過剰に気を遣っているように見えました。私は「そうかそうか」とだけ思い、その後、アイちゃんに対する関心を失いました。
 このように書くと、アイちゃんとの関係は見事清算されたように見えますが、彼女に植え付けられた醜悪な自己像は私の中に深く根を下ろし、後の人生にも影響してくるのです。

 

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