名前のつけられないトランスに
まつわる話
メメがはじめて気づいたのは、五歳の時でした。双子の姉と、母親と、父親と一緒に、おばさんの家に遊びに行った時のことです。
「わたしの自慢の娘たちよ!」
母親の言葉に、心がぐにゃりと、おかしな方向にねじ曲げられてしまったような心地がしました。
次は父親がおみやげのリボンを買ってきた時でした。
ピンク色のはなやかなリボンに、メメは大喜びしました。メメは可愛らしいものが大好きだったのです。それを見て、父親は満足げに言いました。
「お前は女の子だから、こういうのが好きだろうと思ったんだ」
その瞬間、メメの嬉しい気持ちは、たちまちのうちにしぼんでいってしまいました。メメは、自分の心がボコボコと歪んでいくのを感じました。綺麗だったはずのリボンは、もう色褪せて見えました。
その次はメメと姉の誕生会の時でした。
メメは楽しく過ごしていましたが、赤いマカロンが出された時に、思わずギョッとしてしまいました。
この家では、男の子には青いマカロン、女の子には赤いマカロンが出される決まりなのです。
メメはどうしても食べたくありませんでした。食べてしまったら、自分の中の何かがおかしくなってしまう気がしたのです。
けれど結局、メメは食べました。楽しい空気を壊してしまうことの方が、何倍も恐ろしく思えたのです。それに、メメは女の子なのだから、赤いマカロンにギョッとしたというのは、とてもおかしなことだと思いました。
メメはなんとかマカロンを飲み込みました。ですが、そのマカロンは味がしませんでした。
・・・・・・・・・・・・・・・
あれから時が経って、メメが十五回目の誕生日を迎える、その一週間前のことでした。
「お姉様、わたし、本当は男の子なのだわ」
フリルのついたドレス姿のメメが言いました。
同じ格好をした双子の姉は、それを聞いて目を丸くしましたが、すぐににこやかな表情になりました。
「そうだったのね! 言ってくれて嬉しいわ!」
姉は勢いよく立ち上がると、メメの手を取って言いました。
「それならお洋服を買いに行きましょう! きっと素敵なお召し物が見つかるわ!」
二人は服屋に行きました。周りはメメよりもずっと背の高い男の人ばかりです。メメは思わずあたりをキョロキョロと見回してしまいましたが、その中に、メメと同じくらいの背丈の男の子を見つけて、ホッとした気持ちになりました。
メメに似合うような、大人っぽい見た目の服は、どれもメメの体より大きいようでした。それでも二人は、お小遣いで買える中で、一番高くて小さい服を買いました。メメはお店の中でその服に着替えます。
「かっこいいわ! あなたは美人だから、どんな格好も似合うわね!」
姉はしきりに褒めました。メメは嬉しいような、照れくさいような、落ち着かないような、そんな心地になりました。
ショッピングの後、二人はお店でお茶をしました。
「メメ、せっかくだから、喋り方も変えてみたらどうかしら?」
姉は言いました。
「そうね、じゃない、そうだね」
メメは声を低くして言います。
「こんな感じでおかしくないかな」
「ええ、ええ、とってもいいわ!」
姉はにこりと笑って、いちごのケーキを一口食べます。
「ふふ、楽しいわね。ボーイフレンドができたらこんな感じなのかしら」
「はは、やめてくれよ、お姉様」
メメは少し気まずくなりましたが、それよりも、自分が男の子として扱われた嬉しさの方が上回りました。
メメが男の人の服を着て家に帰ると、両親ははじめ驚きましたが、その顔はすぐに笑顔に変わりました。
「かっこいいじゃないか。最近はこういうのが流行りなのかい?」
「とってもいいわ。似合っているじゃない」
二人とも褒めてくれたことにメメは驚きましたが、その気持ちは、すぐに嬉しくて照れくさいものに変わりました。
「やっと自分らしくなれた気がする……かな?」
「いいじゃない、自分らしいのが一番よ」
「お父様、お母様、僕、ほんとうは男なんだ」
「そうかそうか」
「最近はそういう人も多いものねえ」
メメは両親が温かく受け入れてくれたことに安心して、なんと良い家族なのだろうと心から思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・
今日はメメと姉の誕生会です。遠くから親戚の皆もやってくる、大きなパーティです。姉はピンクのドレスを着て、メメは紺色のタキシードを着て、パーティの始まりを待っていました。
ですが、メメは浮かない顔で鏡をみています。気になった姉は、メメに聞きました。
「元気がないわね。どうかしたの?」
メメは答えました。
「気づいたんだ。僕、この格好が好きじゃないかもしれない」
姉は驚きました。
「どういうことなの?」
「僕は本当はフリルのドレスが好きだったんだ」
「え?」
「前の服を着ている方が、きれいだったし、僕らしかった。けれど、タキシードを着た僕はとても醜い」
「そんな、でも、よく似合って……」
「喋り方だって、前の方が僕らしいと思えた。今の喋り方はなんだか偽物みたいだ」
「でもあなたは、自分を男だと思うのでしょう?」
「よくわからないよ。でも、女として見られるのは絶対に嫌なんだ。娘として、妹として扱われるのは、ほんとうに耐えられないんだ。それなのに、僕がほんとうに着たかったのは、お姉様のようなドレスだったんだ」
「メメ……」
「女の格好をするのは嫌いじゃない、女の振る舞いをするのも嫌いじゃない、けれど、自分が女だと思われることだけは、ほんとうに嫌で嫌でたまらないんだ! 僕は男として、そのドレスが着たかったんだ!」
メメが姉を見ると、姉は困った顔をしてメメを見ていました。メメは「すまない、困らせるつもりはなかったんだ」と言いましたが、それから部屋に閉じこもってしまいました。
「メメ、メメ……」
扉の外から、姉がそっと話しかけます。
「今日のお誕生会はどうするの?」
しばらくして、中から声が聞こえました。
「タキシードを着ていくよ」
「でも、その格好は嫌なんじゃないの?」
「嫌だよ。でも僕は男だから、みんなを混乱させないように、これを着ていかないと」
「そう……わかったわ。でも無理しちゃだめよ」
パーティが始まりました。祖父と祖母がやってきました。いとこやおじさん、おばさんもやってきて、メメたちにハグをします。
皆、はじめはメメの格好に驚きましたが、すぐに受け入れているようでした。いとこの中には顔をしかめる人もいましたが、メメは気にしないことにしました。
この家では、男の人には青いマカロン、女の人には赤いマカロンが出されます。この日のために、メメは、一週間前のあの日から、周りに「僕は男なんだ」と言い続けてきました。メメは、「今日は青いマカロンが出されるに違いない」と信じていました。
ですが、メメの前に出されたのは、赤いマカロンでした。
メメは思わず立ち上がります。
「お父様! お母様! 言っただろう! 僕は男だ!」
父親はフォークを持ったままメメを見て言います。
「ああ、そうだな。最近はよくそんなことを言っていたな」
「そうだろう! なのにどうして!」
「でもお前は女じゃないか」
「え」
「お前は男になるための手術をしたのか? していないだろう?_」
「けれど……」
「だったらお前は女だよ」
母親も言います。
「いい? 自分を男だと思うなんてね、若い頃の気の迷いなのよ。みんな遠慮して言わないだけなの」
「そんなこと……」
「最近そういうのが流行っているのは知っているわ」
母親はメメの口を塞ぐように言いました。
「お母さんも、男の子を見て、かっこいい、ああなりたいと思ったことはあるわ」
「お母様のそれとは違う!」
「一緒よ。若い頃はそう思うものなの。でも最後にはみんな、ちゃんと立派な女の人になるの。どんな格好をするのも自由だけれど、ちゃんと娘としての役割は果たしてちょうだい。あなたのわがままで、みんなに迷惑をかけないでちょうだいね」
メメは絶望的な気持ちになりました。メメは周りを見渡しましたが、皆冷ややかな目でメメを見るばかりで、味方になってくれそうな人は一人もいませんでした。
こんなにもわかってもらえないものなのか!
わたしはただ、男の人として扱ってもらいたかっただけなのに!
メメはマカロンにナイフを突き刺しました。悔しくて涙が出てきます。どこからか、「自分を男だと思うくせに、涙は流すのか」と聞こえてきます。耐えられなくて、メメは部屋を飛び出しました。
どれだけ男の格好をしようと、わたしは女でしかないんだ!
手術をして姿を変えれば、みんな男だと認める?
でもわたしは今の体が好きだ!
心を取り出して、皆に見せることができればよかったのに!
・・・・・・・・・・・・・・・
あのパーティから数年後、メメはとびきりのお菓子を持って、かつての自分の家に行きました。
チャイムを鳴らすと、中から姉が出てきました。
「メメ! あなた、今までどこに……」
「前のお誕生会ではごめんなさい。これはお詫びの品よ、みんなで食べてちょうだい」
メメはお菓子を押し付けるように渡すと、姉に背中を向けました。
「待って、もっとゆっくりしていきなさいよ。お父様やお母様にも挨拶を……」
「いいの。わたしには行くべきところがあるから」
そう言ってメメは小さく笑うと、元来た道を歩き出しました。