愚痴 ①
さてさてこれから始まりますは、小説などといった高尚なものではなく、エッセイ、いや、それ未満の、チンケな愚痴にございます。
私(わたくし)、女に見えるノンバイナリーをやらしていただいてますが、女の姿をしていると、人生の様々なところで「可愛い」という概念にぶち当たるのでございます。ええ、特に友達関係で、それはもう、毎回々々出てくるのではないくらいに、皆、一様に、「可愛い」という言葉を使うのでございます。
実は私、私生活では、徹底して「可愛い」を拒否しているのです。服装なんかは信念を持ってメンズのオールブラックを着ておりますし、髪型はメンズカットでパーマなんかも当てちゃって、普段使っているリュックだって、敢えて男性の会社員が使うようなビジネス用のものを使っているのです。口でも言っておりますよ。私は可愛さを求めてなどおりませんぞ、と。それはもう、はっきり、一度じゃ伝わりませんから、定期的に、言い続けているのでございます。
ですがまあ、可愛い信仰というものは根深いもので、「そうは言うけど、可愛いって良いことでしょ? 可愛さを纏うのも良いことでしょ? あなたも本心ではそれを望んでるんでしょ?」というような含みを持たせた発言を、ありがたくも時折いただくのです。
直近の事例を二例だけ。私が友人数人と服屋に遊びに行った時、私がふざけて(ここは強調したいのですが、あくまで「ふざけて」、しかも「大悪ふざけで」)女性もののひらひらしたフェミニンな服を体に当てた時、私が「似合わなすぎる」と大笑いをしたところ、友人たちは、「可愛いと思うけど」「その髪型(メンズカットです)にも合ってるよ」「普通にアリ」と口々に言うのです。しかも、どこかフォローするような調子で。おや、この人たちは、私の「可愛さを求めていない」という発言を忘れてしまったのでしょうか。
さらにもう一例。ポケモンというゲームにとってもクールな女性、チリちゃんという方がいるのは、皆さんご存じでしょうか。ええ、チリちゃんはまさに私の憧れなのですが、その憧れの理由というのは、非常に洗練された性別「非」二元論的な服装、立ち振る舞い、そして何より、その権威性なのでございます。可愛さなんぞは、一ミリもそこに含まれていないのです。ですがこれを別の友人に話しましたところ(話したと言いつつも、言ったのは「チリちゃんみたいな振る舞いができるようになりたい」というだけのシンプルなものでしたが)、友人は、「かっこよくて、でもドオー持ってるみたいな、ちょっと可愛いところがあるのが良いってことだよね?」と言ったのです。待ってください、チリちゃんから見出すのが、よりによって可愛さとは、一体全体、私の理解の範疇を超えておりました。しかも私、この友人には、可愛さは求めていないと何度も言っているのです。これは一体どういうことでしょう。
さてさて、ここからは私の推測になりますが、多くの女性は、可愛いという概念を良いものだと思い込んでいる、いや、思い込んでいるというよりも、当たり前すぎて、可愛いものを良いものだと思っているということすら自覚していないのではないでしょうか。可愛いというものがあまりにデフォルト装備になっているというわけです。
可愛いものを外すことで、初めて異常(そうです、これは異常なのです)が可視化されるといった、そんな状態なのではありませんか。異常だからこそ、可愛さから外れた対象は「矯正」しなければならない、なんて、そんな意識が発生しているのではありませんか。可愛さを求めていないというのは、誇張でなく本当に彼女たちの理解を超えていて、ゆえに、彼女たちの中でなんらかの変換が起こるのではありませんか。例えば、「この人は可愛くなりたくないと言っているけれど、それは一時的な逸脱か反抗か照れ隠しで、本当は可愛くなりたいはず。いつかまともになれば、こちら側に戻ってくるに違いない」なんて、具合に。
さてさて何度も言いますが、私は本当に、可愛さを求めていないのでございます。可愛さなんてものを自ら纏ってしまえば、自分が自分でなくなってしまったかのよう、使い古された言葉ですが、まさに、そのような気持ちになるのです。ですからですから、友人が良かれと思ってやっている、「あなたも可愛くなりなよ」は、すなわち、私の自己規定の破壊、あるいは上書きを意味するのです。その発言をくらうなり、おや、私は一体どこに行ってしまったのでしょうと、一瞬、自分のいる場所がわからなくなる次第でございます。
さて、この長文を友人が見たら、一体なんというでしょう。読んでもなお、友人が私を可愛さの檻に閉じ込めようというのなら、私は、次の愚痴を書かなければなりませんね。
それでは、お後がよろしいようで。
2025/12/17