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超!異世界転生

〜前世で女兵士してたら転生してドラゴン討伐の英雄になった件〜

 アベル・ダルデスパンは若き兵士であった。類稀なる武術の才と気高き精神から、大いなる人望を集め、この国の未来を託される存在として誰もが期待を寄せていた。
 彼には密かに憧れる人物がいた。それは、幾度も戦地へ赴きながら常に無傷で帰還し、また、一夜にして百人の敵兵を討ち取った伝説を持つ女兵士、シャルロット・ダングルベールであった。
 アベルにとって、彼女は強さの象徴であった。彼はこの度の戦にも彼女が参戦すると知り、少しでも彼女に近づこうと胸を高鳴らせていた。
 この戦で、彼は既に何人もの敵国兵士を手にかけていた。彼は疲労に苛まれていた。それ故か、彼に一瞬の油断が生まれた。刹那、彼の胸目掛けて槍が飛び込んできた。それに気付き、彼は目を見開いた。
 その時だった。彼の目の前に銀の鎧が覆い被さった。彼は瞬時に理解した。彼は何者かに庇われたのだということ。そして、彼を庇ったのは、伝説の女兵士、シャルロット・ダングルベールその人であるということに。
 シャルロットは自らの胸に突き立った槍を引き抜くと、目にも止まらぬ勢いで槍を投擲した。その槍は、呆気に取られた敵国兵士の心臓を貫いた。
 アベルは見開いた目で、唇を震わせながら言った。
「な、なぜ貴方様が、私などをお庇いに……」
 シャルロットは振り返り言った。
「お前は若い。この国の未来そのものだ。そんなものも守れず、何が誇り高き兵士であろう!」
「で、ですが、貴方は誰よりもお強い。貴方はこの国に必要……」
「否! この国を背負うのはケチな老いぼれどもではない、未来ある若者だ! そのために命を尽くせるのなら本望!」
 それからシャルロットは、優しく笑い、言った。
「未来を、頼んだぞ」
 そう言うと、シャルロットはその場に崩れ落ちた。そして静かに、息を引き取った。


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 シャルロットは死んだ。そのはずだった。しかし、彼女は目覚めた。そこは見たこともない部屋の中だった。
 はじめに目に入ったのは木製の天井、そして覗き込む幾人もの男女。シャルロットはまず、自力で起き上がれないことに困惑した。次に、思うように言葉を出せないことに困惑した。
「儀式は完了した。あとは好きにするが良い」
 どこかで、若く、男とも女とも判別がつかない声が響く。それを皮切りに、歓声が湧き起こった。
「アドマイア! アドマイア!」
「我らが救世主、アドマイア!」
「アドマイア! アドマイア! アドマイア! アドマイア!」
 シャルロットの身体が宙に浮く。彼女はすぐさま、何者かに持ち上げられたのだと理解した。なんという怪力の持ち主。しかしどうにも身体の感覚がおかしい。シャルロットは自らの右手を顔の前にかざした。そこで目に入ったのは、なんと奇怪なことか、丸々とした赤子の手であった。
 シャルロットは目を見開く。シャルロットの困惑をよそに、彼女は宙から下ろされ、何者かの膝の上に乗せられた。
 一人の女がシャルロットの目の前にやってきた。女の眼光は鋭く、歴戦の兵士であるシャルロットでさえ、射抜かれてしまいそうだと感じたほどであった。
「よくぞ降臨してくださいました、アドマイア様」
 女は言う。
「貴方の名は『アドマイア』、邪悪なる竜人族の長を倒すべくおいでなさった、高貴なる光の戦士です」
 女は続けた。
「アドマイア様、貴方には使命があります。忌々しき竜人の王を倒すのです。そして我が村に救いをもたらすのです。貴方の使命のため、我々も尽力いたしましょう。その代わりにどうか、我々の村をお救いください」
 女は跪き、頭を垂れた。それに続いて、他の人間も一斉に頭を垂れた。ただ一人、ローブを纏った人間だけが、静かに扉から立ち去った。
 張り詰めた空気が場を包む。シャルロットはその場の人間達をぐるりと見た。何十人もの男女が、恭しく地に伏せている。シャルロットは何一つとして、状況を飲み込めてなどいなかった。しかしシャルロットは、この先の過酷な戦いを静かに予感していた。


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 数年後。
 

「母上、帰ったぞ!」
「おかえりなさいませ、アドマイア様」
 落ち着いた声の中年の女が、台所から顔を出す。そこにはハーブの混じった香ばしい香りが立ち込めていた。アドマイアと呼ばれた小さな少女は台所へ行き、女の手元を覗き込む。
「夕飯を作っているのか?」
「ええ、今日は鶏肉です。マナモさんからハーブをいただいたので、一緒に焼いてみているのですよ」
「おお、それは素晴らしいな! きっととても美味いに違いない!」
「ええ、きっと、間違いありません!」
 女は笑顔で応えた。
「ではアドマイア様、準備にはもう少し時間がかかりそうですので、お部屋でお待ちに……」
「いいや、私も手伝おう。このスープを煮込めばよいのか?」
 アドマイアが鍋に手を伸ばすと、女は慌てて声を上げた。
「おっ、おやめください、アドマイア様! いつも言っておりますが、貴方様にこんな雑事など……」
「いつも言っているが、私は母上の子であるぞ? 手伝いをするのは当然だと思うが」
「で、ですが……」
「私がやりたいのだ。よいだろう?」
「そこまでおっしゃるのなら……」
 その時、中年の男も台所に入ってきた。
「エノラ、アドマイア様、私も一緒によろしいですか?」
「おお、父上! 父上も一緒にやってくれるのか! では母上、どうすればよい?」
「ううん……それならタリオ、貴方はサラダをお皿に盛り付けて……」
 アドマイア、否、シャルロットは、死後、アドマイアとして、新たな土地で第二の生を受け、新たな両親の元で暮らしていた。新たな両親は子に恵まれない中年の夫婦であった。夫婦は身寄りのないアドマイアを喜んで引き受け、アドマイアに海よりも深い愛情を注ぎ続けた。
「しかし母上、父上。いつになったらその恭しい言葉遣いをやめてくれるのだ?」
「それだけはやめるわけにいきません! いい加減、慣れてください、アドマイア様!」
 アドマイアには、シャルロットとしての、兵士としての、鮮明な記憶が残っていた。記憶はただの空想とは思えぬほどに詳細を極め、思考は子供と思えぬほどに成熟していた。四歳のある日、ついにアドマイアは両親にそのことを告げた。
 両親は記憶の存在を否定しなかった。むしろ、積極的に肯定して見せた。
「そうです、貴方はサリエという魔術師によって、遠い異世界からその魂を召喚されたのです」
 両親は続けた。目的は邪悪な竜人を倒すこと。そのために、異世界から最強の戦士を呼び寄せたこと。その結果として、シャルロットが選ばれたということ。
 アドマイアは自らの使命を受け入れた。なぜなら、アドマイアは自らが最強であることを知っていたから。そして、強さは弱き者を助けるために行使してこそ、価値があると信じていたから。
「アドマイア様は、わざわざこちらに来ていただいた身分なのですから、私たちがこの言葉遣いをやめるわけにはいかないのですよ!」
「別によいのにな……」
 アドマイアにとって彼らは、恭しい態度その一点を除けば、穏やかで慈悲深い、この上なく素晴らしい両親であった。アドマイアは両親に深く感謝していた。

 

 アドマイアはその後も健やかに成長していった。特に、アドマイアの肉体的な成長は目を見張るものがあった。五歳で自らの身体より大きな猪を武器もなく仕留め、六歳で大木を引き抜き、七歳で巨大な岩を粉々に砕いた。それを見た村人達は、自分達が呼び寄せた魂が間違いなく最強の戦士であったことを確信し、宴を開いた。
 

 しかしそんなものは、アドマイアにとって瑣末なことでしかなかった。それよりも重要だったのは、アテラとシノという親友の存在だった。
「アドマイア! 今日こそは剣術で貴様に勝ってやる!」
「もう、朝から元気だなぁアテラは……」
 アテラは活発な性格の少女だった。彼女は体を動かすことを何よりも好み、顔を合わせる度にアドマイアに剣術の勝負を挑んでいた。また彼女の振る舞いは、アドマイアの勇ましい態度に憧れを抱き、真似たものだった。対照的にシノは、穏やかで争いを好まぬ性格の少年であった。二人はいずれもアドマイアと同じ年頃であり、彼女に遠慮することなく接する、数少ない存在だった。
「ああーッ! また負けた! どうしてお前はそんなにも強いのだ、アドマイア!」
「私には四十年と五年分の経験があるからな」
 アドマイアは剣を軽やかに収めた。
「しかしお前も十分に強い。特に、お前の技術の飲み込みの速さにはいつも驚かされる。いつか、そう遠くないうちに私を追い越すだろう」
「俺も、横から見ていてそう思うよ」
「ううむ……」
 アテラは納得のいかない様子で眉間に皺を寄せながら、剣をしまった。
 アドマイアがふと思いついたように言う。
「アテラ、シノ、この後ドングリを集めに行かぬか?」
 その提案に、アテラの表情がぱっと明るくなった。
「ドングリ集めの競争ならば負けないぞ、アドマイア!」
「アテラ……君ってやつは……」
「はっはっは! いいだろう、受けて立とう!」
 アドマイアは笑った。肉体相応に振る舞うこともまた、彼女にとっては楽しい日常のひとつだった。

 

 ひとしきりドングリを集め終えた三人は、森の湖畔に向かった。そこには三人の小さな木の家があった。それは彼らが三年かけて作り上げた、三人だけの家であり、彼らが秘密の話をする場であり、彼らだけの宝物をしまっておく場であり、彼らの絆の証であり、彼らが愛してやまない場であった。
「見てくれよ、アドマイア、アテラ」
 そう言うとシノは、部屋の隅にあった一抱えもある木の箱を持って二人に見せた。それは昨日までは部屋に無かった箱だった。箱の表面には、誰が見ても美しいと賞賛するような、繊細な蔦の模様が彫り込まれていた。アドマイアもアテラも、思わず目を見張った。
 シノは言った。
「ドングリを入れるのに必要だろ? だから俺、作ってみたんだ」
「これをシノが彫ったのか!?」
「父さんの見様見真似だよ。初めてだから、変かもしれないけど……」
「謙遜するな! こんなに美しいものを作れるなど、シノは誠に天才だな!」
「その通りだ! その道に進めばきっと大成するぞ!」
「へへ……そうかな」
 これをきっかけに、シノはその後も多くの彫刻作品を作り、才能を開花させていった。彼の才能は多くの村人に認められ、彼の作品をしきりに欲しがる者も現れた。三人の家にも彼の作品は増え続け、置き場を増やすための増設すら検討されたほどだった。
「なあアドマイア、アテラ、今度妹が生まれるかもしれないんだ」
 ある日、いつものように三人の家で談笑している中で、ふいにシノが言った。
「妹が生まれたら、ここに連れてきてもいいかな?」
 アドマイアとアテラは、溢れんばかりの笑顔で顔を見合わせ言った。
「もちろんだ!」
 三人とも、新たな仲間の誕生が楽しみで仕方がなかった。

 

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 アドマイア、九歳。

「すっ、すぐに渡しますから、あ、暴れることだけは……」
「暴れるなってテメー俺のことをなんだと思ってんだッコラーッ!」
「ヒィぃ!」
 怒号とともに、屈強な男が女の胸ぐらを掴み上げた。男の服に袖は無く、片手には巨大な斧が握られている。その周囲には、同じく袖のない男が数人。彼らの腕には、点々とした鱗が浮かんでいる。村人達は、その様子を不安げにやや遠くから眺めることしかできない。
「竜人だ」
 茂みの陰から見ていたシノが呟く。隣のアドマイアとアテラも頷いた。袖のない男達、竜人は、数ヶ月に一度の「取り立て」に来ていた。
 村人の男が台車いっぱいの作物を運んでくる。
「こ、こちら、今回の収穫です……」
「ケッ、これだけかよ。しけてんなァ」
 吐き捨てるように言いながら、竜人の一人が地面に向かって斧を振り下ろす。
「ヒッ」
 辺りに不快な音が響き、地面に大きな傷が刻まれた。アドマイアはその様子を睨みつけるように見る。
「今すぐにでも奴らを殴りにいきたい……」
「だめだよアドマイア、皆から止められているだろう」
「殴りたい気持ちは私も同じだが、ここは耐えよう」
「そうだよ、君はまだ九歳なんだから」
 アドマイアが竜人の取り立てを見るのは、これが初めてではなかった。むしろ、彼女はあの醜悪な取り立てを何度も目にしてきた、
 その度にアドマイアははらわたが煮えくり返り、その場を飛び出したい衝動に駆られた。しかしそうすることは村人の総意で固く禁じられていた。なぜなら彼女は、村人達にとって、竜人対抗のための切り札だったからであった。
 村人達は、アドマイアが誰よりも強いことを知っていた。しかし彼女の肉体はまだ子供であり、だからこそ、戦わせるわけにはいかないと考えた。村人達は、未だ成長しきっていないその身体で竜人たちに気づかれ、対策を講じられてしまうことを恐れた。あるいは、村人達の倫理観が子供に戦わせることを躊躇させた。
「いいですか、アドマイア様。あなたが十五歳の誕生日を迎えたその日こそ、私たちの反撃の時なのです。奴隷として捕らえられた者を救い出し、竜人どもを二度とこの地に踏み入れさせぬよう、徹底的に叩き潰すのです」
 アドマイアはその言葉を幾度となく聞かされてきた。そして、アドマイアも納得していた。それでも、竜人が取り立てに来る様子は、何度見ても耐え難いものだった。
 地面が揺れる。シノはすぐに、それがアドマイアの怒りによるものだと気がついた。竜人も揺れに気がついたようであったが、すぐに気にするのをやめた。
 竜人は作物を確認すると、女を乱暴に地面へ放り投げ、去って行った。村人達は女に駆け寄り、怪我はないかとしきりに心配した。

 

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 ここでアドマイアの愛すべき隣人について記述しておかねばならない!
 

 メルレというふくよかな中年の女は、無類のボードゲーム好きであった。アドマイアがこの村に初めてボードゲームの概念を持ち込んだ時、誰よりも早くルールを理解し、誰よりも深くのめり込んだ。
 今では自作のゲームを次々と生み出し、度々ゲームの大会を主催している。彼女のゲームは村人から深く愛され、次の新作はまだかと、日々心待ちにされていた。アドマイアもまた、彼女の作品の熱心な愛好者の一人だった。

 

 ゾモという老齢の男は、この村で数少ない文字の読み書きができる人間だった。アドマイアは三歳の頃に彼のもとを訪ね、自ら学びを乞うた。この世界の言語は彼女の前世のものと異なり、習得には苦労を要したが、ゾモは根気強く教え続けた。
「昔はサリエという子供に教えていたのですがね、あいつは今じゃ魔術師になって、村の外のどこかへ行ってしまいました。今じゃ文字を覚えたがる者など、貴方以外に誰もいません。皆、生きていくのに必要ないと言うのです」
 ゾモは寂しげに笑った。それを見てアドマイアは、前世の文字文化の重要性を語り、それを村に広めて回った。今では子供から大人まで多くの村人が彼の元で文字を学び、元来教え好きである彼は、生き生きと毎日を過ごしていた。

 

 その教え子の一人に、セトナという若い女がいた。常に暗い顔をしている女だった。星の観察を好み、星の運動について独自の理論を持っていたが、それを表現する術を持たず、また誰にも理解を得られないことを悩んでいた。
 しかし文字を手にしたことで、彼女の人生は変わった。理論の執筆にのめり込み、家に引きこもったことで村人達から心配されたが、執筆を終えた彼女はいつになく晴れやかな顔で広場に現れては何時間も小躍りし、皆を驚かせた。彼女はアドマイアに言った。
「アドマイア様、貴方は、文字は時空を越えると言いましたね。ようやくその意味がわかりました。私が死んでも思考は死なない。そう思うと、無性に生きる希望が溢れてきたのです」

 

 カリエルという中年に差し掛かった男は、狩猟のリーダーであった。屈強な仲間達を連れて森へ狩りに出るのが日課であり、得た獲物は村人皆に分け与えた。彼自身屈強な男であり、村で唯一、腕相撲でアドマイアに勝ち目のある人間だと言われていた。(村ではしばしば、酒場で腕相撲大会が開かれた。)

 カリエルは心優しく、皆から、特に子供によく好かれた。また、誰よりも真摯に獲物に向き合う人間だった。獲物が苦しんでいれば即座に苦痛を断ち、狩った命には必ず跪いて祈りを捧げる。仲間の狩人の中には彼の行いの意味を理解しない者もいたが、皆、彼の行いを尊重した。数度狩りに同行したアドマイアも、彼の姿勢に静かな敬意を払っていた。
 

 ナファという若い女は、よく寝る人間だった。彼女はどこでも寝た。その中でも特に、川のほとりと家の前に作ったハンモックがお気に入りだった。鼻に蝶々が止まっても微動だにしない姿は、もはや村の名物と化していた。
 勤勉な村人達は、彼女の姿を見ることで、休むことを忘れずにいられ、時に怠けることを、自分に対しても他人に対しても許すことができた。自分を追い詰めてまでしなければならない仕事など無いのだ。彼女自身、常に心に余裕を持ち、おおらかな性格をしていたことから、村の皆に好かれていた。アドマイアも彼女とは時折、川辺で雲を見ながら話をしていた。

 

 マナモという女とその子供であるマルクという少年は、家族のいない子供たちの面倒をよく見ていた。この村の大人は定期的に竜人に奴隷として連れ去られるため、親のいない子供が多くいた。彼らの親は、時に皆の前で堂々と、時に皆の知らぬところで神隠しじみた手法で連れ去られた。
 マナモの夫でありマルクの父親でもある男も竜人に連れ去られた人間の一人だった。マナモとマルクは、親を連れ去られ悲しみに暮れる子供達を愛で優しく包み込み、身の回りの世話を甲斐甲斐しく焼いた。子供達は二人に感謝し、アドマイアもそんな彼らの様子を見て、マナモとマルクに尊敬の念を抱いた。

 

 彼らの他にも、アドマイアの周りは愛すべき隣人でいっぱいだった。畑に行けば勤勉な村人達が農作業に勤しみ、川に行けば釣りや洗濯をする者がおり、酒場に行けば愉快な村人達がいつも小さな宴を開いていた。アドマイアは、そんな彼らに溶け込み共に暮らすことを何より好み、彼らもまた、そんな彼女を心から歓迎した。

 

 ある夜。

 

「セトナ、こんなところでどうしたのだ」
「星を見ていました。眠れないのです。アドマイア様こそどうされたのですか」
「散歩だ」
「ご両親が心配しますよ」
「かもな。勝手に抜け出したから」
 アドマイアは笑った。それにつられてセトナも笑った。
「眠れないのなら、雑談に付き合ってくれないか。もちろん、邪魔でなければだが」
「邪魔だなんて、とんでもありません」
「それはよかった」
 二人は空を見た。
「美しいな」
「ええ、本当に」
 温かく優しい風が吹く。
「そういえば、お前の書いた星の文章、最後まで読ませてもらったぞ」
「どっ、どうでしたか!」
「面白かった。よく観察されているし、そこから導き出される考えも、私のような人間には到底思いつかないものだ。……完全に理解できているかは怪しいが」
「そっ、そうですよね。わ、わかりにくい、というか、意味わからないですよね、あんなの」
「是非とも持ち帰って、専門家に意見を聞きたいものだ」
「せんもんか……?」
「その道に誰よりも詳しい者だ。私の時代には、星の専門家がいたのだよ」
「そんな人たちが……」
「そのような者に聞けば、また違った意見が出されることだろう。お前のその文章は、そのような者に見られてこそ価値がある」
「そういうものでしょうか……」
「そうだ。すぐには出会えぬかもしれないが、いつかきっと出会えるに違いない。その時のために、お前の文章は大事にとっておくと良いだろう」
「は、はい!」
 セトナは口元をほころばせながら、胸元で両手を握った。
 その時、遠くから小さな明かりが近づいてきた。ランタンの明かりだった。明かりの主はアドマイアとセトナの元へ来ると、にこりと笑って片手を上げた。
「おや、アドマイア様にセトナではありませんか!」
「おお、ナファではないか!」
「ナファ! こんな夜に、どうしたの」
「さっき起きたとこだから、散歩してたんですよ。そしたらお二人の姿が見えたから来てみたんです」
「ほう、目が良いのだな」
「そ、それよりも、貴方一体どんな生活をしているのよ、ナファ! 人間は昼間に起きて夜に寝るものよ!」
「アンタだって夜なのに寝てないじゃないか、セトナ」
「うっ……」
「それよりも、お二人はなんの話してたんですか」
「セトナの書いた星の話だ」
「あー、そういえばそんなもの書いたって言ってましたね。どんな内容なんです?」
「そんなの、一言じゃ言えないわよ……」
「それはそうだな。お前も読んでみるといい、ナファ」
「いやー、私は読めないですよぉ」
「貴方もゾモさんのところで文字を習っていたじゃない」
「それはそうですけど……うーん、その、読み方は覚えましたよ? 読み方はわかるんですけど、それでも長い文章読もうとしたら、根気と集中が必要じゃないですか。で、そこまでいくと結局、教えてもらうんじゃなくて、自分で頑張るしかないじゃないですか。私には無理ですねぇ」
「んもう……」
「だからさ、喋って教えてよ、セトナ。話聞くのは得意だからさ」
「一日じゃ終わらないわよ……」
「それなら明日も来るよ。明後日も。どうせアンタは眠れないんだろう? そしたら私もこの時間に起きるようにするからさ」
「ナファ、貴方ってば……って、あら? アドマイア様寝ていない?」
「本当だ! やっぱこの時間は子供には無理だったかぁ」
「家まで連れて行ってあげましょう」
「そうだね。星の話はその後で」
「ええ」

 別のある日。

 

「あら〜、アドマイア様!」
「おお、メルレ!」
「いいところで会えたわぁ! 実は昨日、新しいボードゲームを思いついて作ったんです!」
「なんと! それは素晴らしいな」
「もう、楽しくなっちゃって、一晩中寝ずに作っちゃったんですよぉ!」
「おお……それは……一刻も早く寝た方がいい……」
「それよりも、今日の夜、酒場でみんなとゲームするんです。よければアドマイア様もどうかしらと思って」
「おお、喜んで参加したい! お前の作るゲームは本当におもしろ……ん?」
「……アドマイア様?」
 アドマイアがふと、視線を外した。
「アドマイア様?」
 彼女は木陰をじっと見つめていた。
「見られている……誰かがそこにいるな」
「ええっ!」
「メルレ、悪いが少し見てくる。おい! そこにいる者よ! 出てこい、何を見ている!」
「アドマイア様!」
 彼女はすぐさま木の陰に回り込んだ。しかし、そこには誰の姿もなかった。続いてやって来たメルレが心配そうに彼女を見る。アドマイアは小さく首をかしげた。
「確かに感じだのだが……」
「もしかして竜人でしょうか……?」
「しかし敵意は感じなかった」
「だったら精霊の類だったりして! 気になるなら、魔術師のサリエに聞いてみたらどうでしょう? ちょっと気難しいですが、なんでも教えてくれますよ!」
「そうだな。聞いてみるよ」

 

 魔術師サリエの家は、森の奥、人どころか動物の影さえ感じられない場所に、ポツリと建っていた。アドマイアが扉を数度叩くと、中からローブを纏った、男とも女ともつかない人間が現れた。アドマイアはこの人間こそがサリエだと直感した。アドマイアは、かつて自分がこの世界に召喚された日、この人間が儀式に参加していたのを覚えていた。
 その人間はアドマイアを見ると、露骨に面倒くさそうな顔をし、言った。
「誰だ、何用だ」
「私はアドマイアという者だ。貴方がサリエだな? 今日は聞きたいことがあって来た」
 アドマイアがそう言うと、その人間、サリエは、表情を変え、興味深げにじっとりとアドマイアを眺めた。
「ほう、アドマイア……あのアドマイアか。そういえば面影があるな。私が降霊の儀を執り行った、あのアドマイア……」
「ああ。貴方が私をこの世界に呼び寄せてくれたことは、両親から伝え聞いている」
「そうか。まあ、あの村人どもなら、お前が転生してやってきたことも話しているだろうな……」
「そうだ」
「それで、聞きたいことがあって来たのだったな。おおかた、自分の出自について話を聞きたいといったところか。お前の出自には語るべきことが多い……」
「いや、全然違うが」
「何?」
 アドマイアは村で感じた視線の話をし、それが精霊の仕業かどうか尋ねた。するとサリエは、思いきり顔をしかめた。
「お前……そんなことをわざわざ聞きに来たのか? 精霊なんぞが現実にいるわけがないだろう」
「何!? この世界に精霊はいないのか……!?」
「竜人じゃあないのか? 奴らは概して人間よりも身体能力が高い。お前に気づかれてから音も立てず逃げるなど造作もないだろう」
「ううむ……しかしなぜ?」
「知らん」
「そうか……」
 アドマイアは一瞬沈黙してから言った。
「ありがとう、少し整理がついた。もしまた視線を感じたら、注意深く見てみるとしよう。幸い、敵意は感じなかったからな。では今日はこれで失礼する」
「はっ? なに? もう失礼されるのか?」
「お前も忙しいだろうからな」
 そう言ってアドマイアは踵を返し、サリエの家を後にした。

 

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 アドマイア、十四歳。

「ああーッ! また負けた! どうしてお前はそんなにも強いのだ、アドマイア!」
「私も成長しているからな」
 アドマイアは静かに剣を収めた。
「しかしお前も成長している。今日のお前は昨日のお前よりも確実に強かった」
「俺も、横から見ていてそう思ったよ」
「ううむ……」
 アテラは納得いかなげに、眉間に皺を寄せながら剣をしまった。その時だった。
「アドマイアさま! アドマイアさま!」
 小さな少女が駆け寄ってきた。胸には白い花の冠を抱えている。
「アドマイアさま! お花で冠を作ったんです! アドマイアさまにあげます!」
「おお、なんと美しい冠だ! ありがたくいただこう!」
 アドマイアは優しく冠を受け取ると、それをそっと頭に乗せた。
「どうだ、似合っているか?」
「はい! 似合ってます、アドマイアさま!」
「シーナはまた作ったのか、一体これで何個めなんだ……」
「十はとっくに超えているな」
 アテラとシノが笑いながら見守る中、花冠を手渡した少女、シーナは無邪気な笑みを浮かべた。シーナと呼ばれたこの少女は、アドマイアが九歳になる前に生まれた、シノの妹であった。シーナは健やかに成長し、今では三人の木の家に出入りする仲間の一人になっていた。
「わたしはアドマイアさまが好きなのです! だからアドマイアさまに冠を作ってあげるのです!」
「はっはっは! お前はかわいいな、シーナ!」
「俺よりもアドマイアの方に懐いてるなぁ……」
 シノが肩をすくめて笑うと、四人の笑い声が響いた。

 

 やがてシーナが昼寝に入ると、三人はいつもの木の家で語らった。
「最近の様子はどうだい、”アテラ師範”?」
「その呼び方はやめてくれ、シノ……」
 アテラは照れくさそうに笑いながら、だが誇らしげに続けた。
「まあ、楽しいぞ。少し教えただけで、皆どんどん上達していく。あれは、嬉しいものだ。本当にな」
 驚くべきことに、今のアテラには十三人の弟子がいた。剣の弟子である。
 始まりは一人の若い女であった。アテラとアドマイアの戦いを側から見ていた彼女は、勇ましいその姿に徐々に憧れを募らせ、ついにアテラに剣術を教えて欲しいと申し出た。アテラは快諾し剣術を教え始めた。すると彼女の腕はめきめきと上達し、彼女は剣術にのめり込んでいった。
 次は女の母親だった。娘が楽しげに剣術に打ち込む様子を見て、自分もやりたいと思うようになっていったのだった。初めは「ちょっとした趣味だからほどほどに」と控えめな態度をとっていたが、いつしか娘以上に熱中するようになっていた。
 これを皮切りに、教えて欲しいと申し出る者が次々と現れた。その中には男も女もいた。年齢も様々だった。皆、昔からアドマイアとアテラに密かな憧れを抱いていたのだった。戦う術を持たず、守られることしかできない己の身に、危うさを感じてもいたことも理由だった。そうしてアテラは多くの弟子を抱え、毎日剣術の教室を開くこととなった。アドマイアも時折指導を手伝ったが、教える才はアテラの方が上であった。
「そういうお前はどうなのだ、シノ? テノとは順調か?」
「ああ、昨日も会ってきたよ。……昨日は作った詩を聞かせてくれたんだ」
 テノとは、シノの長年の片思いの相手であり、今の恋人だった。
 テノは農夫の息子で、毎日真面目に農耕に勤しんでいたが、その一方で詩作を好み、農作業の合間に森の中を歩き風や小鳥の声を聞いては、それを美しい言葉に変え書き留めていた。
 畑で真面目に働く姿を見るたびに、そして、時折、どこからか伝わってくるテノの詩を耳にするたびに、シノは惹かれていった。
 ある時、シノは初めて自らの彫刻をテノに見せた。するとテノは、村の誰よりも美しく詩的な言葉で、シノの作品を称賛した。それから、シノは毎日のようにテノに話しかけた。芸術を深く愛する二人の波長はこの上なく合い、いつしか恋人となった。それ以降、テノの詩には愛をテーマとしたものが増えていった。
「今度、アイリスの花をモチーフにした作品を贈ろうと思うんだ。どうかな?」
「素晴らしい! きっと喜ぶぞ!」
「ああ、絶対にやるべきだ」
「そうかな……」
 シノは照れたように顔を赤らめ、それでも柔らかな微笑みを浮かべた。そしてその気恥ずかしさをごまかすように話題を変えた。
「アドマイアはどう? 最近は何かあった?」
「ああ、私はサリエのもとへ行ったよ」
「またあの偏屈な魔術師のもとに?」

 そう! この頃のアドマイアは、頻繁にサリエのもとを訪ねるようになっていた。

「昨日も魔術を教えてくれと言ったら、ついに折れて、教えてくれたのだ!」
「ついに!」
「だが、さっぱりだった。どうやら私は、魔術の才がまるでないらしい」
「それ本当に教えたのか? いじわるされたんじゃ……」
「いいや、あの顔は真剣だった。お前達にも、あの時のサリエの気まずげな表情を見てもらいたいものだ」

 

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 ここで少し、魔術師サリエとアドマイアの日常を記述しておこう!

 

「サリエ!」
「……また来たのか、アドマイア」
 サリエが玄関の扉を開けると、陽の光を背に、にこにこと笑うアドマイアが立っていた。サリエはやや面倒くさそうな顔をしつつ言う。
「今日はなんの用だ」
「いつも通り、世間話をしに来た!」
「……本当にいつも通りだな」
 サリエはアドマイアを家に入れると、聞いたこともない品種のハーブの茶を淹れて、アドマイアに差し出した。
「サリエ、今日もまた魔術を教えてくれないか」
「断る。この前のを忘れたのか? まったく、どんな下手な奴でもできるよう手順書まで用意してやったというのに、お前は初歩の初歩すらこなすことができなかっただろう……」
「人には得手不得手がある! 根気強くやっていけば私にだってできるはずだ!」
「向いてないと自覚しているなら潔く諦めるんだな。不得意を伸ばすことほど無意味なことはない」
「向いていないことをしているのはお前もだろう、サリエ。自分で言っていたではないか、『私に魔術は向いていない』と」
「私にはこの道しかなかったのだ。私が私として生きるにはこうするしかなかった。だがお前には道があるだろう。皆に讃えられ、未来を約束された立場が」
「うむ……」
「嫌ではないのだろう? 村人達のために戦うのは。ならばおとなしくその道を進んでおけば良い」
「それはそうだが……私はただ、新しいことに挑戦してみたくなったんだ」
「なら別のことに挑戦しろ。私を巻き込むな。私は人にものを教えるのが嫌いだ。そもそも人間が嫌いだ」
「私のことも?」
「もちろんだ」
「はは、それはひどい」
 アドマイアは村人と親密ではあるが、多くの者には崇められ、そこにはどこか遠慮があった。それゆえアドマイアは、サリエのこのあけすけで不遜な態度を気に入っていた。そのことを本人に伝えると、サリエは「倒錯している」と一蹴した。
「そうだサリエ、湖に行かないか?」
「ん? この私の”城”が気に食わないというか?」
「そうだな……ここは少し薬草の匂いだろうか……がきつくてな」
「正直な奴だ」

 外へ出ると、日は傾き、赤くなった空を湖面が鏡のように映していた。
「お前がここへ来た日は、ひどい嵐だった」
「その話は前にも聞いたよ、サリエ。赤子の体に私が憑依した瞬間、ピタリと嵐が止んだのだろう?」
「そうだ。その少し前までは、屋根が吹き飛んでしまうかと思うほどだったのにな」
「不思議な話だな」
「そうだな」
 優しい風が吹く。
「そうだ、お前の名前について、少し話をしてやろう」
「名前?」
「”アドマイア”は遠い国の言葉だ。村人達があれこれ相談して決めたようだがな、お前の名前には、『賞賛される者』という意味を込めたらしい。村人の一人がたまたまその言葉を知っていて提案したところ、皆気に入って、すぐに決まったようだ」
「賞賛される者か。光栄な話だな」
「それで、私も調べてみたのだ。本当にそんな言葉があるのか気になったからな。調べたところ、確かにその言葉はあった。しかし、その言葉の本当の意味は『賞賛する』であり、『賞賛される』ではなかった。つまりお前は、『賞賛される者』ではなく『賞賛する者』ということだ。外国の言葉を借りるのならば、もっと慎重になるべきだったというわけだな」
「そうだったのか。それならそうと、皆に言ってくれればよかったものを」
「興味がない。それに、私が気づいた頃にはすでに皆お前の誕生に浮かされていた。誰の耳にも、私の声は届きはしなかっただろうな」

 

 また別のある日。

 

「そういえばサリエ、ひとつ気になっていたことがあるのだが……皆にお前の話をする時、“彼女”と呼ぶべきか、それとも“彼”とするべきか、いつも迷うのだ。村の皆も、どう呼ぶべきかと困っているようでな……お前の意に沿うのは、どちらだろうか?」
「どちらも使うな」
 即答だった。
「女と思われるのも男と思われるのも、どちらも不快だ。そんなもの使わなくとも会話くらいできるだろう? お前の世界にいなかったか、こういう人間は?」
「うむ……少なくとも私の周りには……」
「それはまた退屈な世界だな。ここの村人どもと同じだ。まあ、これから慣れていくことだな」
 サリエの言葉に、アドマイアはため息混じりに笑った。
「女も男も嫌だなんて、そう言われるとは思いもよらなかった。正直、まったく感覚がわからない。慣れるだろうか……」
「既存の表現にばかり頼れば、多くのものを取りこぼす。別の世界から来たお前なら、常識を疑うことにも慣れているだろう。くだらない言語の克服くらい簡単にできるんじゃあないか、アドマイア?」
「それが、存外近いのだ……この世界と元いた世界は」
 サリエは片眉を上げた。アドマイアは苦笑混じりに言う。
「まあ、努力はしよう。ただ、それなりの難題を課していることは自覚してくれ」
「別に、言葉一つでいちいち目くじらを立てるほど私は暇ではない。ただ、今言ったことを踏み躙るようなら、そいつは”その程度の人間”だと思うだけだ」
 そう言って、サリエは茶を啜った。

 

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「すっ、すぐに渡しますから、あ、暴れるのだけは……」
「暴れるなってテメー俺のことをなんだと思ってんだッコラーッ!」
「ヒィっ!」
 巨大な斧を持った、袖のない数人の竜人が、村の女を取り囲んでいた。村人達は、その様子を不安げにやや遠くから眺めることしかできなかった。
「また竜人だ」
 陰で見ていたシノが言う。隣のアドマイアとアテラも頷く。竜人はまたもや、数ヶ月に一度の取り立てに来ていた。
 やがて村の男が、台車いっぱいに作物を積んで運んできた。
「こ、こちら、今回の収穫です……」
「こんなんで足りるわけねえだろッコラーッ!」
 竜人の一人が男の顔を殴りつける。男は血を吹き、地面に崩れ落ちた。アドマイアは拳を固く握り、睨みつけるようにその光景を見つめていた。
「もっとだ! もっと出せ! ケチくせえお前らだ! どうせまだ溜め込んでんだろ!」
「しかし、これ以上出しましたら、わたくしどもの食糧が……」
「出せっつってんだから出せやッコラーッ!」
 竜人は斧を振り下ろした。
「ヒィっ!」
 辺りに不快な音が響き、地面に深い傷が刻まれる。
「おいお前らァ!」
 竜人が村の女の首を掴み、持ち上げる。
「これ以上出せねえっていうなら、この女を連れて行く! ちょうど奴隷が足りてなくて困ってたんだよなァ!」
 一人がそう言うと、他の竜人達が下品に笑い出した。アドマイアの握られた拳から、怒りのあまり血が流れ出す。
 その時、別の村の男が最後の納屋から台車を押して現れた。
「わ、我々の最後の備蓄です……もう本当に、本当にこれしかないのです……これ全部お渡ししますから、どうかその娘だけは連れて行かないでください……」
「ケッ、これだけかよ。しけてんなァ」
 竜人は積まれた作物をひと目見てから、乱暴に女を突き飛ばし、振り返ると仲間達とともに去っていった。残された村人達はすぐに女のもとに駆け寄り、震える彼女に怪我はないかとしきりに確かめた。

 

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「カリエル! 獲物だ!」
 狩人の一人が、一匹の猪を指差して言った。それを聞いて、狩人のリーダーであるカリエルは弓を構えた。しかし、すぐに弓を降ろした。
「だめだ。あれはまだ若すぎる」
「でも、あんなちっさくても、捕まえないと皆の飯が……!」
「あんな子供までバカスカ殺したら、森が死んじまう」
「でも他にいないんだから、しょうがねえでしょう!」
「うむぅ……」
 カリエルは渋々弓を引き、猪の子供に命中させた。カリエルは倒れた獲物のもとへ行くと、跪いて手を合わせた。他の狩人達と、彼らに同行したアドマイアも彼の後についていき、その様子を見守る。狩人の一人が言った。
「すいませんねえ、アドマイア様。せっかくついてきてもらったのに、獲物がいないんじゃあどうしようも……」
「気にするな。仕方あるまい」
 何時間も森を歩き回ったが、成果はほとんどなかった。カリエルが空を仰ぎ、ぽつりと呟く。
「急に捕りすぎてしまったんですよ。私らの獲る早さが、彼らの生まれる早さを追い越してしまったんだ」
「こんな状況ならしょうがねえですよ! なんせ、作物がねえんだ。今の村の食いモンは狩りに頼るしかねえ」
 アドマイアは「川釣りの方に期待しよう」と慰めたが、狩人の一人は「そっちも期待できねえですよ」と諦めたように言った。

 

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「サリエ」
「また来たのか、アドマイア」
 サリエが玄関の扉を開けると、沈んだ様子のアドマイアが立っていた。サリエはその異変に気付きつつも、素知らぬ顔で言った。
「今日はなんの用だ」
「いつも通り、世間話をしに来た」
「いつも通りだな」
 サリエはアドマイアを家に入れると、聞いたこともない品種のハーブの茶を淹れてアドマイアに出した。
「サリエ、村の備蓄が竜人に奪われた。食料が足りない。村人は皆飢えている」
「知らんな」
「サリエ……」
 サリエは自分の茶を啜った。
「奪い返しに行けばいいだろう。お前にはその力があるのだから」
「皆、子供に戦わせるわけにはいかないと言う」
「十五になったら戦わせに行くという、あの話だろう。くだらない。そんな数字に何の意味があるのだ」
「くだらなくなどないさ。私も彼らの立場ならば、子供に戦いを強いはしない。村人皆が納得するために十五という基準を設けるのは、妥当なやり方だ」
「ふん。そうモタモタしていたら、いつか手遅れになるぞ」
「そうだとしても、私は皆の考えを尊重したい。それに、十五の誕生日はもう間近だ」
「まだ数ヶ月は先だろうが……」
「……うむ」
 アドマイアは、ますます曇った表情で茶を口に運ぶ。それを見て、サリエは眉をひそめた。
「お前が辛気臭いと、どうも気持ちが悪いな」
「そうは言ってもだな……」
「ふん、それなら気晴らしになるような話をしてやる」
「何?」
「お前の肉体がどこからやってきたのか、話をしてやろう。結論から言うと、お前の肉体は川からボートに乗って流れてきた。どこの馬の骨とも知らぬ赤子が川から流れてきて、村人達はそれを拾い、おおこれはちょうどいいと、お前の魂を憑依させることにしたのだ」
「急に話を始めるな……まあいい。そうか、私の元の肉体の持ち主は、冒険の末にここに辿り着いたのだな」
「冒険と言うと聞こえはいいな。まあいい。もっと詳しい話を聞かせてやろう」
「わかるのか?」
「ああ。私の魔術は過去を見通せる」
「便利だな。続けてくれ」
「お前の肉体を産んだのは、竜人族のもとで奴隷として暮らしていた女だ。始めは村で暮らしていたが、竜人達に拉致されたのだ。まあ奴隷と言っても、主に竜人達の性の捌け口として使われていたらしいがな」
「ひどいな」
「そんなある時、彼女が妊娠していることが発覚した。それでだ、散々彼女に性的な暴行をしていた竜人達は、その子供が自分達の血を引いた子供であると考えた。ゆえに竜人達はその子供を保護することに決めたのだが、産まれてから、なんとびっくり、その子供は人間同士の子供であることがわかったのだ。そう、その子供は、女が拉致される前にできた、彼女の恋人との子供だったのだ。それを知った竜人達は激怒し……」
「なぜそこで激怒するのだ」
「知らん。とにかく、竜人達はその子供を殺そうとした。しかし女は愛する人間との子供をどうしても殺したくはなく、自分の命をかけて逃げ出すことにした。女は竜人達の城を抜け出すことに成功した。しかし森の中を走り、川辺に辿り着いたところで、追手に追いつかれた。その時、追い詰められた彼女の背後には、川とボートがあった」
「おお……」
「そこで彼女は、赤子をボートに乗せて、自分は竜人に立ち向かうことにしたのだ。落ちていた木の棒を拾い、そんなにも殺したいのならまずは私を殺せ、と。そこで女は命を落とすのだが、思いの外、川が急流だったおかげで赤子は逃げ切り、村の住民に拾われたというわけだ。赤子が助かるかどうかは完全に賭けだったようだがな」
「そうか、そんなことが……母親は無念だったろうな……」
 アドマイアの表情に悲しみがにじむ。
「父親は? 生きているのか?」
「いいや、もう死んでいる。女が連れ去られたことを悲しみ、一人で竜人の城に乗り込んだが、呆気なく返り討ちにされたそうだ」
「そうだったのか……」
「どうだ、この話の感想は?」
「何が気晴らしになる話だ。とんだ悲劇じゃないか。余計に憂鬱になったぞ」
「そうか? お前の奇跡的な生還を讃えようと思ったのだがな」
「まあ、そういう受け取り方もできなくはないが……」
 そこでふと、アドマイアの胸に一つの疑問が芽生えた。
「そういえば、元の肉体の持ち主の魂はどうなったのだ?」
「魂だと? 急になんだ」
「今の話を聞いて思ったのだ。私の魂が別の世界から呼び出され、その赤子に憑依した。ということは、私が憑依するまでは、その赤子には全く別の生があったということだろう? であれば、その赤子の魂はどうなったのだ?」
「追い出した」
「何?」
「基本的に一つの器には一つの魂しか入らない。私もそのことは説明したが、それでも村人達はお前を選んだものでな」
「では、その赤子の魂は今どうなっている?」
「現世のその辺を彷徨っている。どうも、お前の肉体に無意識ながら執着があるらしい」
「では、その赤子に肉体を返すことはできるのか?」
「できないな。未成熟な赤子の魂に対して、お前の肉体は成長しすぎた」
「では、その赤子の魂を救うことはできないのか?」
「現世から解放することくらいはできるな。ただし、お前がその肉体を捨てる必要はあるが」
「肉体を捨てるとは、死ぬということか」
「そうだ」
「それで赤子が解放されるというのは、どういう理屈だ」
「知らん。ただの経験則だ」
「そういうものか」
「そういうものだ」
 サリエは静かに茶を啜った。アドマイアも、それに倣うように口をつけた。
「まあ……」
「なんだ」
「お前が赤子に肉体を返したいというのなら、私が手伝ってやる。苦痛なくあの世へ送り出してやろう」
「そんなことができるのか」
「まあな」
「しかし……そうか……うむ……」
「赤子の魂など放っておいて、寿命まで生きる道もある。まあ、決断は先延ばしにしておけ。その方がいい」

 

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「アドマイア! 今までどこに行っていたんだ」
 夕方、アテラとシノが、森の方から帰ってくるなり言った。二人の腕には、食用の木の実や草を詰めた籠が抱えられていた。
「サリエの元へ行っていた」
「サリエか……」
「すまないな、手伝わなくて。明日からは私も一緒に行こう」
「構わない。アドマイア、お前には竜人族を倒すという大事な使命があるからな」
「そうだよ、だから食料集めは俺たちに任せて」
「しかし……」
「いいんだって」
 アドマイアは、このところの二人の状況を知っていた。これまで必要のなかった森での食料集めに追われ、アテラはろくに剣も触れず、シノは作品を作ることもできないということを。アドマイアは、アテラにとっての剣、そしてシノにとっての作品が、いかに大切であるかを知っていた。だからこそ、胸が痛んだ。
「テノも言ってる、作物はあるにはあるけど、今の状況じゃ到底足りないって」
「しかし、ナファまで川釣りに行くようになるなんてな。寝てばかりだった頃からは考えられない」
 村人達は、互いを支えるために、これまで通り笑顔で接し合っている。しかし、その裏にある不安を無きものにすることはできず、互いにそれを感じ取りながら過ごしていた。
 村人達の胸には、竜人たちへの恐れと憎しみが渦巻いていた。しかし、それでも、それらの感情に心を支配されることはなかった。それはアドマイアという希望の存在、ただ一つが理由だった。
 そのとき、小さな足音が近づいてきた。シーナだった。
「アドマイアさま、これ、ブレスレットです。どうか竜人を倒してください」
 そう言って、花で編んだ細く小さなブレスレットを、アドマイアの手首にそっと通した。アドマイアは微笑み、静かに応えた。
「ありがとう、シーナ。絶対に倒すよ」

 

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 ここで一つ、竜人族の暮らしについて記述しておかねばなるまい!

 

「よぉダグ、お前、女を奴隷にする方法教えてやろうか?」
「何言ってんだ。女なんて、何もしなくたって奴隷みたいなものだろ? あいつらは生まれながらに劣った生き物なんだ」
「お前は女と関わったことがないからそう思うんだ、ダグ。あいつらはな、表面上は服従したフリをして、心の奥底ではまだ反抗の気持ちを持ってるものなんだよ。だからな、あいつらを真の奴隷にするには、徹底的にその心を壊さなくちゃならんわけだ」

「まったく、どいつもこいつも、俺が女と寝たことないからって見下しやがって……」
 ダグはそれなりに大きな独り言とともに廊下を歩く。廊下では一組の男女が性行為をしていた。ダグはちらりとそちらを見る。
「うわ、よく見たら女の方は人間じゃないか。しかもかなりの不細工だ。あんなの、女とすら呼べないだろ。俺だったら吐いちまうかも」
 ダグは竜人の官僚機構における新人だった。
「それにしても、無理やり挿れたのか知らないが、股が血で真っ赤だったじゃないか。俺だったら潤滑油を使うのに。ああ、なんで俺みたいな気遣いのできる優しい男に女が当てがわれないで、あんなカスみたいな奴ばっかりが女を手に入れるんだろうな。この世は不条理だ」

 

 ダグは休憩室に入った。
「よぉダグ、今日は機嫌が悪そうだな」
「ああ、ちょっとだけな」
 部屋の中央には、両手をロープで縛られ天井から吊るされた、人間の男がいた。ダグは狙いを定めると、男の腹を思い切り蹴り上げた。
 男は痙攣し、ほどなくして動かなくなった。
「おいダグ! 死んじまったじゃねえか!」
「知らねえよ! 俺はやり方通りにやっただけだ!」
「だっはっは! 運がなかったなぁ、ダグ! ま、決まりは決まりだ、お前が次の人間を調達してこい」

 

 次にダグは処刑場へ行った。広場の中央では、一人の罪人の処刑が行われる直前だった。観客に紛れて立つダグに声がかかる。
「よぉダグ。どうした、沈んだ顔して?」
「休憩室の人間が、俺の番で死にやがったんだ」
「まあ、あれはだいぶ衰弱してたからな」
「おかげで俺が代わりをとってこなきゃならねえ」
「災難だったな。まあ、見てけよ。ちょっとは気が晴れるかもしれねえ」
「そうだな」
 ダグは罪人の方に目をやった。罪人は竜人の男だった。罪人の手足はそれぞれ別の馬にロープで縛り付けられており、処刑人が合図すると、馬は各々の方向に走り出した。ロープに引っ張られ、肉と骨が裂ける音とともに、歓声が上がった。しかしすぐにまた静かになり、観客は次々に処刑場から去っていった。
「で、あの罪人は何やらかしたんだ?」
「あいつは何もしていない。家族がやらかしたんだ。あいつの家族が、竜人と人間は仲良くすべきって言って回ったんだよ」
「ああ、そりゃダメだな」
 ダグは笑った。
「ああ。言って回った本人は国外のどっかに逃げたから、代わりにあの男が処刑されたってわけだ」
「ふうん、世の中にはとんでもない馬鹿がいるもんだな」
「そうだな、俺たちには到底理解できない馬鹿だ」
「この前もいたよな。女が男並みに偉くなる小説書いて処刑された奴。まったく、なんでそんなことするんだろうな」
「馬鹿だからだろうな。そんなことをすればどうなるか、先のことが想像できん馬鹿だからそんなことをするんだ。だからこそ、俺たちのような優れた男が上に立たなきゃならん」
「ああ、俺たち優れた男がな」
 ダグの脳裏に、王・ゲロイアの戴冠式での言葉がよみがえる。
「男は上、優れた男はさらにその上、女は下、人間はさらにその下」
「ゲロイア様は偉大だよな。あの言葉にどれだけ励まされたか」
「俺たちもああなるために、精進しなきゃな」
「ああ……」
 気分がいくらか晴れたダグは、処刑場を後にした。

 

 次にダグが向かったのは、奴隷人間居住区だった。休憩室で殺した人間の代替を探すためだ。
 不衛生な場所なので、できればこの区域には来たくなかった。ダグは自分の不幸を嘆きながら奴隷人間を物色する。この居住区内には男の人間しかいなかった。女は性的奉仕に駆り出されるので、肉体労働者を収容しておくこの場所に男しかいないのは当然だった。仮に男と女の扱いが同じだったとしても、勝手に繁殖されては困るので、それらは別々の場所に入れておかれるだろうとダグは考えた。
 ダグは比較的屈強な男を一人選ぶと、ナイフで喉元を脅しながら連行する。その様子を見た奴隷管理人の竜人が止めに入るも、ダグが役人であることを示すと、彼は即座に引き下がった。管理人の男は”真に優れた男”ではないので当然だった。

 

 休憩室に行って新しい人間の奴隷男を縛り付けると、ダグは一日の締めくくりとして闘技場へ行った。王・ゲロイアが肉体を鍛錬する時間であり、その様子は国民全員が見ることができた。
 その日も多くの竜人が集まっていた。何人もの護衛に囲まれたゲロイアは、上半身裸になると、自分の身体よりも大きな鉄球を振り回し始めた。ゲロイアの筋肉が隆起する。その姿に歓声が湧く。ダグは魅入った。
 ゲロイアの顔と肉体は、男であるダグから見ても、完璧としか言いようがなかった。ゲロイアはダグにとって真に優れた男の象徴であり、ダグはゲロイアを見ることで、自分もまた優れた男になれたかのような、ある種陶酔した感覚に浸ることができた。
 うっとりと眺めていたその時、バチリと、ダグとゲロイアの目が合った。一瞬のことであったが、あまりの眼光に、ダグの腰はすっかりと抜けてしまった。立ち上がれなくなったダグは、そのまま人の波によって外に押し出されてしまった。
 ダグはしばらくの間ぼんやりとしていたが、そのうちに明瞭な意識を取り戻し、思った。そうだ、女を作ろう。ゲロイア様のような、真に優れた男になるために、と。

 

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 ある午後。

 

 アテラやシノと森で木の実の採集をしていた時、アドマイアはふと背中に纏わりつくような視線を感じた。それは九歳の頃から幾度となく感じてきた、敵意はないが、じっとりと品定めしているような、そんな視線だった。
「私を見ているのは誰だ! 危害を加えるつもりはない、出てきてくれないか!」
 アドマイアは森の奥に向かって叫んだ。反応はない。しかし視線が止む気配も無かった。
 隣でアテラが言う。
「アドマイア、危害を加えるつもりはないなどと言うから出てこないのだ」
「しかし……」
「そこで見ている者よ! このアドマイアがひとたび剣を振れば、この森一帯は一瞬で薙ぎ払われ、お前たちも一緒に死ぬ! 無様に死にたくなければおとなしく出てこい!」
「アテラ……こんなので出てくるわけ……」
 それから間もなくして、木の陰から、三人の人間が両手を上げながらやや警戒した様子で現れた。
「本当に出てきた……」
 シノが驚いた顔で言う。
「ほう、私を見ていたのは精霊ではなく人間であったか」
「まだ死ぬわけにはいきませんので……」
 三人のうちの一人が言う。彼らのうち一人は女で、二人は男だった。三人とも若く、村では見たことのない顔の人間だった。三人の人間は目を見合わせると、意を決したように頷き、言った。
「今までずっとあなたを見ていたのは、私達です。不躾な真似をしていたこと、お詫びいたします」
 三人の人間は頭を下げた。アドマイアは彼らを静かに見つめたのち言った。
「構わない。頭を上げてくれ。それよりも、お前たちは何者だ? なぜ私を見ていた?」
「これから私達が何を言っても、危害を加えないと約束していただけますか」
「もちろんだ」
「それと、話をする場を、魔術師サリエのもとに移させてください。私達の話を疑って欲しくないのです。あの人間ならば、私たちが嘘をついていないことを証明できるでしょう」
「わかった。ならばサリエの元へ行こう」
「アドマイア、いいのか? この者達は明らかに怪しいぞ」
「判断するのは話を聞いてからでも遅くはあるまい」

 アドマイアとアテラ、シノ、そして三人の見知らぬ若者達は、採集を中断してサリエの元へ行った。扉を開けて現れたサリエは、アドマイア達の様子を見るなり露骨に嫌そうな顔をした。アドマイアに事情を聞かされたサリエの表情はさらに険しくなった。
「お前達の潔白を証明するためだけに、私に立ち会えと?」
 三人のうちの一人の女が一歩前に出て言った。
「サリエ、あなたが立ち会ってくれるまで私達はここを動きません」
 サリエは大きく溜息をつくと、「待っていろ」とだけ言い残し、部屋の奥へ消えた。そしてローブを羽織り戻ってきた。
「ならば外で話そう。どこの馬の骨とも知らない奴を家に入れたくない」

 

 湖畔に腰を下ろすと、若者の女が静かに口を開いた。
「私たちは人間ではなく、竜人です」
「何!」
 アテラが反射的に携帯ナイフを抜く。しかしアドマイアがそれを制した。
「危害を加えないという約束だっただろう」
「ああ……そうだったな、すまない」
 アテラはナイフをしまう。三人の人間、否、竜人は袖を捲って見せた。その肌は鱗で覆われていた。
「本当だ……鱗がついている」
「袖のある服を着ているから人間だと思った」
「竜人皆が袖のない服を着ているわけではありませんから……」
 そう言うと女は、アドマイアを真っすぐに見つめ、はっきりと言った。
「アドマイア様、貴方にお願いがあります。貴方に我々の王、ゲロイアを殺して欲しいのです」
 アドマイアとアテラ、シノは目を見開いた。
「……なんだと」
「貴方がどのようなお方かは知っています。ずっと見ていましたから。貴方は我々竜人の王を倒すためにこの世に召喚された。我々は貴方のその使命を、ぜひとも果たして欲しいと、強く願っているのです」
 アドマイアは困惑した。
「お前達は竜人なのだろう。竜人でありながら、自らの王の死を望むのか」
「はい。我々は今の王に、心底うんざりしているのです。長くなりますが、聞いてください」
 竜人の女は一つ呼吸をおいて、語り始めた。
「信じ難いかもしれませんが、かつて、竜人と人間は友好的な関係を築いていたのです」
「なんだと? 知らないぞ、そんなの……」
 アテラは驚いた。女は「そうでしょうね」とだけ言い、続けた。
「遥か昔、竜人と人間の仲は悪いものでした。しかし幾度もの戦争を経て、ある時、戦争を終わらせようという機運が芽生えました。憎しみと悲しみばかりを生み出す不毛な行いなどやめるべきだと、両陣営から声が上がり始めたのです。そうして竜人と人間はいくつもの条文を交わし、二度と戦争をしないことを誓いました」
「ふむ……」
「同じ頃、竜人の国では新たな動きが生まれました。これまで劣位に置かれていた者、主に女性や同性愛者の権利向上を求める動きです。その頃、人間社会は比較的平等でしたが、竜人社会はそうではなかったのです。人間との交流を経て、竜人の多くは感化されていきました。初めは壁も多かったようですが、その動きは、徐々に、少しずつではありましたが、うまくいっていました。竜人は平等を実現しかけていたのです。しかし、それを壊したのが、今の王ゲロイアでした」
「なぜ」
「竜人の中には、平等の実現により、自分達の利益が奪われたと感じた者がいたのです。きっと、ゲロイアもそんな風に考える者の一人だったのでしょう。ゲロイアはそのような者達の潜在的な不満を煽り、正当化し、支持を集め、結束を強めました。女や同性愛者のように彼らの仲間とみなされない者は、憎悪の目を向けられ、再び社会の底へと追いやられたのです。”秩序を乱す邪悪な存在”として」
「それは気の毒なことだな」
 アテラが言う。
「だが、それが人間にどう関係する?」
「これらの話は地続きです。いいですか、ゲロイアの思想はこうです、”本質的に優れているのは、一部の竜人の男だけ。それ以外はすべて劣等である”と。この”それ以外”には人間も含まれる。ゲロイアは人間すらも、いや、人間こそを、最大の蔑視と憎悪の対象としたのです」
 女は続けた。
「ゲロイアは即位するや、人間との友好を約束する条文を軒並み破棄した。人間との関係を繋ぐための機関も破壊した。人間に友好的な態度を示す者に次々と制裁を与えた。人間との友好関係など、初めから無かったことのようにした。ゲロイアは偽りの歴史を用いながら、人間がいかに愚劣で邪悪であるかを民衆に説き、人間への憎悪を煽った。女や同性愛者への憎悪と並べて人間への憎悪を植えつけることで、一部の竜人の男こそが最も優れているという虚構を、あたかも真実であるかのように仕立て上げたのです」
「そんなのに流される奴がいるのか?」
「いるのですよそれが!」
 アテラの疑問に、竜人の男が横から口を挟んだ。女は冷静に続けた。
「この物語は、特定の層の熱狂的な支持を得て、瞬く間に広まりました。やがて、これを良いとも悪いとも思っていなかった層も取り込まれ、反発する者には社会的・肉体的な制裁が加えられ、恐怖が、人々の良心と勇気を押し潰していきました。そうして今の王国は出来上がったのです」
「ふぅん、嘘をついているようではないな」
 サリエは竜人たちに手をかざし冷静に言った。女は頷き、さらに続けた。
「我々の物心がついた頃には、既に今の暴政は始まっていました。反発した年長者はあらかた粛清され、ほとんどの者は暴政を暴政とも認識していない状況です。しかしそれでも、違和感を覚える者は現れるのです。自らの倫理に照らし合わせ、間違っていると判断する者は現れるものなのです」
「竜人にも色々いるのだな……」
 アテラが呟く。女は「はい、あなた方と同じく」と言い、続けた。
「我々は粘り強く調査し、考え抜き、先ほど話したような真実を民衆に広めようと試みました。しかし、当然ながら、この行いは王からすれば非常に都合が悪い。嘘と憎悪で統治する者にとって、真実を追及する者は邪魔で仕方がないのです」
 サリエは無言で手をかざし続ける。
「我々はしばらくの間は逃げ延びることができましたが、ついに本名や家族を暴かれ、国に居場所が無くなりました。そうして、態勢を立て直すためにこの辺りに潜伏していたところ、貴方の存在を知り、唯一にして最大の希望であると確信しました」
 三人の竜人は頭を下げた。
「どうか、どうか、我々の王を倒してください」
 そして、しばしの沈黙の後。
「よくぞ話してくれた」
 アドマイアが言った。
「お前達は真に勇敢な者達だ。お前達は、真の意味で国のために立ち上がった。お前達の思いはしかと受け取った。お前達に敬意を表する」
「アドマイア様……」
 アドマイアは竜人達の手を固く握った。
「後は私に任せてくれ」

 

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 ある日の村、午後。

「女だ! 女を出せ! 若いのだ! 若い女を出せ!」
「ど、どうか、どうか、それだけは……!」
「上に連れてこいって言われてんだッコラーッ!」
「ひぃい!」
 五人の袖のない男、竜人達が、村の中心で恫喝していた。竜人たちは年老いた村の長を囲み、女を連れてくるまで解放しないと言い張っていた。
 その様子を影からアドマイア、アテラ、シノの三人は見ていた。
「最近は作物だけだったのに、今回は女まで要求するのか……」
「しかしなぜ女なのだ? 男は要求しないのか?」
「性的な奴隷にするのだろう。竜人は女が好きなのだと聞いたことがある」
「好きだからって、奴隷にするなんて考えられないよ……」
 三人は声を潜めつつも、険しい顔で事態を見守る。アドマイアは、これほどの事態であれば自分が介入すべきだと言った。しかし、アテラとシノはそれを止めた。アドマイアは竜人を討つための最後の切り札であり、竜人の城に攻め入るまでは存在を明かすべきではない、そして攻め入るための準備はできていないというのが理由だった。
「どうせ家の中に隠れているんだろう! 出す気がないのならこっちから引きずり出してやる!」
 竜人たちはばらばらに散り、民家へと乗り込んでいった。間もなく、数人の若い女が無理やり引きずり出されてくる。アドマイアはそれを見て、あまりの邪悪さに震えた。
「ケッ、不細工ばかりだ。この村も終わりだな」
 一人の竜人が、女の髪を鷲掴みにして無理やり顔を上げさせる。女が「痛い!」と叫んだ。竜人はうるさいと女の腹に蹴りを入れた。村にどよめきが走る。
 その時だった。
「死ねッ!」
 怒声と共に、女の髪を掴んでいた竜人の首が跳ね飛んだ。一瞬遅れて、皆がそちらを見る。そこには剣を持った女が立っていた。首を斬ったのは、中年の女、アテラの弟子であり、今まさに捕らえられた女の母親だった。
「その娘は私の子だ! その子に汚らわしい手で触るなど、この私が断じて許さぬ!」
 母親はまっすぐに殺意のこもった視線を向け、力強く言った。誰もが予想しなかった事態に、その場にいた全員が目を見開いた。陰でシノが唾を飲む。アテラも剣の柄に手をかけた。
「なんだぁ……?」
 残った別の竜人が斧に手をかけた。そして、
「テメー人間のくせに何様だッコラーッ!」
 母親の頭目掛けて斧を振り下ろした! その時だった。
 目にも止まらぬ速さでアドマイアが陰から飛び出し、母親の頭をかち割らんとしていた斧を横から弾き飛ばした。アドマイアの動きを追えた者は誰一人としていなかった。村人、竜人、全員が、その光景に目を見開いた。
「長老、皆、すまない。もう見ていられなかった」
 アドマイアは村人皆をぐるりと見てそう言うと、再び竜人たちに視線を向けた。
「村人に危害を加えるのなら、私を倒してからにしてもらおう」
 それを聞いた竜人達は、一斉に斧を構える。しかし、その中の一人、リーダー格の男が静かに手を上げ、他の竜人を制止した。
「やめろ。今の動きを見たか? これではこちらの部が悪い」
 それから村人全員に聞こえるように叫んだ。
「今の一連の行いは、竜人族に対する宣戦布告と見なす! であればこちらも、それに応じるのみ! よく覚えておくことだ!」
 そして冷たく言った。
「これからどうなるか、楽しみにしておくことだな」

 その後、村は重い緊張に包まれた。
「ああみんな、ごめんなさい、ごめんなさい、私があんなことをしたばっかりに」
 竜人の首を斬った女がしきりに謝る。
「別にいいって。むしろ反撃してくれてスカッとしたよ」
「大丈夫さ、何があっても、俺たちにはアドマイア様がいるから」
 村人は揃って女を励ました。それでも皆、竜人が村に攻め込んでくることを予感し、胸の中は恐怖でいっぱいだった。
 アドマイアは村人達を案じて言った。
「こうなったのには私にも責任がある。今から竜人の王を殺してこようか」
「だめですよ、アドマイア様はまだ十五歳の誕生日を迎えていないのですから」
「そんなことを言っている場合か」
「しかし、私どもが納得できないのです」
「むう……」

 

 その次の日。

 

 この日アドマイアは、狩猟班と狩に出掛けていた。しかし村に戻ると、村人達は騒然としていた。
 混乱の中、シノがアドマイアを見つけ、駆け寄ってくる。
「アドマイア! アテラを知らないか!」
「知らないが……アテラはお前たちと同行していたのではないか?」
「そうなんだけど、俺たちが目を離した隙にいなくなっていたんだ!」
「何だと?」
 それからその日は夜まで捜索が続いた。しかしアテラは一向に見つかる気配がなかった。
 アドマイアはサリエの元に行き、捜索を依頼した。しかし、返ってきたのは冷たい答えだった。
「対象がわからなければ過去を見通すことはできない。お前たちは、その女がどこで消えたのか知らないのだろう? ならば私にできることは何もない」

 

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 次の日。ここで再び竜人の生活を記述しよう!

 

「ダグ、お前昨日から機嫌がいいな?」
「わかるか? そう、ついに俺にも女ができたんだ」
「ほう、それはよかったな。美人なのか?」
「まあ、それなりに」
 ダグは自らの部屋である個室に戻った。そこには、猿轡を噛まされ、手足を鎖で繋がれた女がいた。彼女の名は……アテラ!
 アテラはダグを反抗的な目で睨みつけた。ダグはアテラの腹を蹴り上げた。アテラは呻き声を上げて地面に倒れこむ。
「なんだその目は……お前は自分の立場がわかっているのか? 俺は上、お前は下、だ! 弁えろクソ女が!」
 そう言うとダグは部屋の壁に向かって、それなりに大きな声で独り言を呟く。
「人間女で妥協したのにこんなんじゃあな……人間じゃあ他の奴らに見せびらかすこともできないし……まあでも、こいつの態度は今後の教育次第か……これで俺も毎日セックス三昧だ……これで俺もエリートの仲間入りができる……」
 それから、倒れこむアテラに向かって言った。
「さっきはごめんなあ、夜はたっぷり可愛がってやるから……」
 アテラはあまりのおぞましさに目を見開いた。

 

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 村の女が竜人の首を切り落とし、アテラが失踪してから数日。真に恐ろしい悲劇は静寂の夜に忍び寄る!

「アドマイア」
「どうした、シノ」
「話があるんだ。大事な話。二人だけでしたい。夜、湖に来てくれないか」

 夜、皆が寝静まった頃。湖畔。
「綺麗だね、アドマイア」
「ああ、この湖は星をよく映す」
「ここで俺たち、小さい家、作ったよね」
「ああ、そう……だ……」
 アドマイアはシノの顔を見た。シノは今にも泣きそうな顔をしていた。何故そのような表情をするのか、アドマイアが尋ねようとした瞬間、アドマイアの腹に激痛が走った。
「……?」
「すまない、アドマイア」
 アドマイアが視線を落とすと、ナイフの握られたシノの手が、アドマイアの腹を深々と刺していた。その手はひどく震えている。
「すまないアドマイア……お前を殺さなければ、シーナと両親……テノを……ズタズタに切り裂いてやると、竜人に脅されたんだ……」
 アドマイアは震えながら手を伸ばした。しかしその手は、シノには届かなかった。アドマイアは声を出そうとした。しかし喉から出たのは、意味をなさない音ばかりであった。
「ああ、俺はなんてことを……アドマイア……ああ、アドマイア……」
 シノはアドマイアに突き刺したナイフを引き抜くと、自らの首を掻き切り、湖に身を投げた。アドマイアは、飛び出さんばかりに見開いた目で、沈みゆくシノを見た。水面は激しく飛沫を上げ、泡立った。そして、ほどなくして、何事もなかったかのように静けさを取り戻した。アドマイアの意識はここで途切れた。

 

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 次にアドマイアが目を覚ましたのは、見知らぬ部屋の中だった。
「ここは……」
「目を覚ましたか」
 現れたのは、サリエだった。
「ここは私の寝室だ。お前が寝ている間、私は床で寝ていたのだぞ。感謝しろ」
 サリエはベッド脇の椅子にどかりと座った。
「湖で倒れているお前を私が回収したんだ。お前、怪物並みの力を持つくせに、耐久は大したことないのだな」
「シノは……?」
「お前を刺した友人の男か。過去を見たから事の顛末は知っている。あの湖は深い。あの男はもう助からない。諦めるんだな」
「……」
「また来る。お前はもう少し寝ていろ」
 そう言うとサリエは再び部屋の外へ出ていった。

 

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 数日後、朝。
「サリエ、私も手伝おう」
「朝食の準備くらい一人で十分だ。それよりもお前は休んでいろ。動き回ってまた傷が開いたら、困るのはこちらだ」
「本当に大丈夫なんだ。動いていないと気が変になりそうになる」
「ふん、ならばこの皿をテーブルに持っていけ」
 二人が朝食の席に着くと、アドマイアから話し始めた。
「私がここにいることは、両親に伝えてくれたのか?」
「いいや、伝えていない」
「なんだ、伝えていないのか……ならば早く言わねばな。心配していることだろう」
「……」
「久々に村の皆に会いたいな。今日は村に行こうと思うのだが、構わないか?」
「……」
「サリエ?」
「アドマイア、村に行くのなら覚悟しておけ」

 

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 村に着いて、アドマイアは絶句した。
 半壊した家、荒らされた畑、血塗れになって倒れた人々、腐敗した血と肉の、むせ返るような臭い。
「サリエ……覚悟しろと言ったのは、こういうことだったのだな」
「引き返すか?」
「いいや、私は、現実をこの目で見なければならない」

 初めにアドマイアは、自らの家へと足を運んだ。
「父上……」
 玄関口では、アドマイアの父が無惨に身体中を切り裂かれ、横たわっていた。その手には固く斧が握られていた。
「お前の父は、最後まで抗ったようだな」
 サリエは感情の篭らない声で言った。

 家の中に入ると台所で母親が倒れていた。身体中痣に覆われ、腹は抉れ内臓が飛び出していた。すぐそばには包丁が落ちていた。
「お前の母も、最後まで希望を捨てていなかったようだな」
 アドマイアはサリエの言葉に胸が軋んだ。

 その後アドマイアは、村中を見て回った。
 アドマイアに文字を教えてくれたゾモも死んでいた。アドマイアをボードゲームに誘ってくれたメルレも死んでいた。アドマイアと共に狩りをしたカリエルも死んでいた。アドマイアの大切な友人が愛したテノも死んでいた。アテラの両親も死んでいた。シノの両親も死んでいた。共に農作業をした人々も、共に酒場で宴を開いた人々も、皆死んでいた。皆、無惨に殺されていた。

 最もおぞましい死に方をしていたのはセトナだった。
 セトナの家に入ると、床に、天文の文章が散乱しているのが目に入った。筆跡はセトナのものであり、そのほとんどは乱暴に破かれていた。
 部屋の奥で、セトナは横たわっていた。顔面は血に塗れ、腫れ上がり、もはや原型を留めていない。衣服は引き裂かれ、暴行の跡だけがあった。膣には蝋燭が入れられている。
「なぜ……」
「奴らにしてみれば、知性を持つ女は憎かろうな」
 アドマイアはしばらくその場から動けなかった。サリエはただそれを黙って見ていた。

 アドマイアに王の打倒を託した三人の若い竜人も死んでいた。彼らは腹から内臓を垂れ流した状態で、村のはずれの木に磔にされていた。
「アドマイア……大丈夫か?」
「大丈夫……ではない……少し時間をくれ……」
 アドマイアは膝を折り、地面に崩れ落ちた。この三人の竜人は、アドマイアが心から尊敬した存在であった。

 

「水だ。飲め」
 サリエが水筒に水を入れて持ってきた。
「ありがとう」
 アドマイアは力なく微笑んで受け取った。

 

 その後、アドマイアは、亡骸の全てを村の広場に丁寧に並べた。遺体の目を閉じさせ、手を胸元で折りたたませた。それから、全員に花を手向けた。時間をかけて、丁寧に、一人一人に向けて、祈りを捧げた。
「貴方を殺した竜人は、必ず私が討つ。どうか、それまで待っていてくれ」
 アドマイアはそう呟くと、静かに目を閉じた。

 奇妙なことに、村中をいくら探しても姿のない村人もいた。シノの妹であるシーナや、昼寝好きのナファ、家族のいない子供達を世話していたマナモやマルクがそうだった。
「彼らは一体どこへ行ったのだろうか」
 独り言のように呟いたアドマイアに、サリエは宙に手をかざしたまま、竜人の国の方角を見て言った。
「生きたまま連れ去られたようだ。若い女や子供は持ち運ぶのが簡単で、連れ帰れば労働力になるからな。男も軽いものは連れていかれたらしい。反対に、激しく抵抗した者や、怒らせた者、歳をとって使い物にならない者はここで殺されたようだ」

 

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 家に戻るとアドマイアは、サリエの寝室に引きこもった。丸三日出てくることはなかった。アドマイアは部屋の中で何をしているのか、泣いているのか、寝ているのか、サリエは覗き見ることをしなかった。ただ、寝室は不気味なまでに静まり返っていた。
 引きこもってから三日後の朝に、アドマイアは寝室から姿を現した。アドマイアの目は、晴れやかに澄み渡った、純度の高い殺意に塗れていた。竜人達はアドマイアに、伝説の兵士、シャルロット・ダングルベールの血を呼び起こしてしまった。
「すまない、心配かけたな」
 アドマイアの声は穏やかだった。
「別に心配はしていない」
 サリエはパンを食べながら言った。
「飯を食べた後、竜人の城に行こうと思う。悪いがお前も来てくれないか、サリエ?」
「いいぞ。それと……」
「なんだ?」
「ハッピーバースデー。今日でお前は十五歳だ」

 

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 二人は城への道を走っていた。否、正確には、サリエを背負ったアドマイアが走っていた。
「城への道はこんなにも整備されていたのだな」
「竜人どもは馬を使って村に来るからな。繰り返し来るのだから、整備もされているだろう」
「それもそうか」
「お前、馬よりも速いんじゃないか?」
 アドマイアの腰には剣が携えられていた。

 竜人の国の門は巨大で、その前には門番が二人立っていた。アドマイアは気に留めることもなく、その間を突き抜けた。アドマイアの足はあまりにも速く、門番たちは何が起きたのかすらわからなかった。

 

 城下町に入ると、アドマイアはサリエを背中から下ろした。
「この中に、村人を殺した者はいるか」
 サリエは四方にぐるりと手をかざすと、首を横に振った。
「いない。ここにいるのはただの民衆だ。人間を見下し憎しみを向けている者はそれなりにいるようだがな」
「そうか」
「すべては王の仕業だ。王が民衆を扇動した」
「そうか」
「恐らく、村人を殺した奴らは城の中に集まっている」
 その時、何かが空を切って飛んできた。拳よりも大きい、決して小さくない石だった。遠くで「人間だ!」と声が上がった。
 アドマイアは片手で石を受け止めると、そのまま手を握りしめ粉々に潰した。その光景を目にした竜人たちは、無言で道を開けた。

 

 城へ着くと、跳ね橋が二人を阻んだ。サリエが言う。
「橋が降りるまで待とう。きっと近いうちに内に誰かが通るだろう」
 しかしアドマイアは周囲を見渡し、「その必要はない」と力強く言った。
「サリエ、背中に捕まれ。絶対に離すなよ」
「はあ?」
 そう言ってサリエを背中に乗せると、アドマイアは城壁の近くにある大木に上り、身体を揺らし始めた。そして大木がしなり、城に向かって大きく勢いづいた瞬間、アドマイアは力強く跳び上がった。サリエを乗せたアドマイアの身体は飛んでいき、見事! 城壁の縁を掴んだ!
 それから壁を伝って内部に降りると、アドマイアはサリエを背中から静かに降ろした。
「しっ、死ぬかと思ったッ!」
 地面にへたり込むサリエに、アドマイアは笑みを見せた。
「よくぞ振り落とされなかった! お前ならできると信じていたぞ、サリエ!」
「私は室内族だッ……無理をさせるなこの馬鹿者!」
「悪かった。すぐにでも、仲間を傷つけた連中を片付けたくてな」
「……ふん、まあいい。さっさと行くぞ」

 

 城の入口には二人の門番がいた。アドマイア達は隠れもせず、堂々と彼らに向かって行った。
「お、女!? 誰だ貴様らは!」
「サリエ、彼らは?」
「今回の虐殺には関わっていないが、拉致した人間を日常的に殴って憂さ晴らしをしている」
「そうか」
 アドマイアは目にも止まらぬ速さで剣を抜くと、さっと二人の門番の首を切り落とした。アドマイアは振り返ることもせず、ゆったりとした足取りで城の中へ歩を進めた。

 城内に入ると、突然の予期せぬ侵入者に驚く何人もの竜人が、呆然とした顔でアドマイア達を見た。「侵入者だ!」竜人がそう叫ぼうとした瞬間、アドマイアは剣を投げ一人の喉に突き刺し、それと同時に走り出し、別の竜人の首を掴んで折り、さらに近くにいた竜人の首を蹴り上げた足で刎ね飛ばした。しかし遠くの竜人までは届かず、彼らはけたたましい警報を鳴らした。すぐに十数人もの竜人兵士たちが集まった。
「人間だ! 殺せーッ!」
 何人もの竜人がアドマイア達に向かってきた。アドマイアは剣を回収すると、サリエに一つの傷をつけることもなく、次々に襲いかかってくる竜人達の首を的確に切り落としていった。剣を振り回しながらアドマイアは、直立したままのサリエに聞く。
「なあサリエ、ついうっかり殺してしまったが、問題なかったか?」
「安心しろ、こいつらは全員、何らかの形で人間に危害を加えている」
「そうか、それは安心した」
「この城にいる奴ら全員殺して構わない」
「わかった」
 アドマイアは剣を振り回し続けた。

 敵の首を全て落とし終えると、先ほどまでの騒ぎが嘘のように、静けさが訪れた。しかしアドマイアの耳は捉えていた。城の最上階で走る者達の足音と、部屋の奥で、恐怖に震えながら息を潜める者の気配、捕えられた人間の、困惑に満ちた気配を。
 

 廊下を進んでいると、サリエがある扉の前で足を止めた。
「この中に、セトナを殺した者がいる」
 アドマイアの脳裏に、破られた天文の書と、傷つき、横たわるセトナがよぎった。アドマイアは一瞬、精神的な苦痛に顔を歪めたが、すぐに力強い目つきに変わり、扉を蹴破った。中には三人の竜人がいた。竜人達は恐怖に満ちた目でアドマイア達を見る。サリエは一人ずつ竜人を指差し言った。
「こいつはデズ。暴行の主犯格。やろうと言い出したのもこいつだ。殴って、犯して、やりたい放題だ。こいつはルド。人一倍他者の知性に憎しみを抱いている。セトナの書いた文章を破ったのはこいつだ。当然、暴行にも加わっている。で、そっちにいるのはバル。二人がやっているから自分もやったというだけの、まあ、つまらない奴だな。それなりに暴行を楽しんでいたようだが」
「なっ、な、なんだァお前達はッ!」
「アドマイア、こいつらの名前と罪状を書き記しておいてやろうか? 醜聞として後世にまで伝えるのだ」
「くだらぬ悪人の名前など、記録するに値しない」
「そうか? まあいい」
「てっ、テメェ、調子に乗んじゃあ……」
 竜人の一人が、震えながら斧を持ってアドマイアに飛びかかった。しかしアドマイアはこれをひらりと避け、竜人の首に手刀を入れた。竜人の首はアドマイアの手によって直角に折れ、そのまま絶命した。
 それからアドマイアは残りの二人の元へ歩み寄ると、気圧される彼らの首を静かに掴み、上に持ち上げた。
「ぐ……ぐるし……」
「貴様らを殺すのに剣など要らぬ」
 アドマイアはたっぷり時間をかけて二人を窒息させたのち、手を離した。
「貴様らに名誉の死など、永遠に訪れぬ」
 二人の絶命した竜人が、床に倒れ込んだ。

 

 次なる対象を探すため、アドマイアとサリエが廊下を進んでいると、風を切る音と共に背後から矢が飛んできた。アドマイアは振り返ることなく、それを片手で受け止める。目線を戻すと、驚きの表情を浮かべた竜人の子供がいた。自ら放った矢が掴み取られたことに、ただ呆然としている。
「子供……? なぜここに」
 次に子供は短剣を取り出すと、決死の表情でアドマイアに向かってきた。
「うおおおーーーーーーーーーっ! あっ」
 アドマイアは体をひねり躱すと、子供の腕を軽く掴み捻り上げた。
「いでででででででで!」
「アドマイア、こいつはセトナを殺した男の子供だ」
「そうか。ならば……」
 アドマイアは子供に向かって言った。
「よく覚えておけ。お前の父親は罪の無い人間を陵辱し、殺した」
 しかし子供は震えながら叫んだ。
「にっ、人間相手にやったんだろ? ならそれって、良いことじゃないか!」
 それを聞いてアドマイアは子供を、しかしサリエが制した。
「待て、子供だ」
「そうだな」
 アドマイアはぽつりと言うと、大きく開いた目で子供の目を見て、地獄のような声で言った。
「殺すのは十年待ってやる。その間にお前が自分で何を言ったのか、よくよく考えることだな」
 そして付け加えた。
「狙ったのが私であったことは褒めてやろう。もしもそこの魔術師を少しでも傷つけていたら、お前の命はなかったぞ」
 子供は地面にへたり込み、立ち上がる様子はなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

「アテラ!」
「アドマイア!」
 アドマイア達は、部屋の中で鎖に繋がれているアテラを発見し、声を上げた。
「生きていたか!」
「ああ……肉体はな」
「肉体は?」
「話は後だ。それよりも、外で何が起こっている? 生憎この鎖のせいで音しか届かないが、どうにも賑やかなようだな」
「それはだな」
 サリエが口元を歪め、楽しげに答えた。
「こいつが竜人を殺して回っているのだ」
 アドマイアは不服そうにサリエを一瞥する。
「何がおかしい」
「あの性根の腐り切った竜人を殺してまわっているのだぞ、これが笑わずにいられるか」
「気持ちの悪い奴だな」
 アドマイアはアテラの鎖を引きちぎった。アテラは感心したように「流石の怪力だ」とアドマイアを見た。
「ところでアドマイア、サリエ。ダグという竜人の男を見なかったか?」
「いいや、知らないな」
「そうか。よければ、その男を見つける手伝いをしてくれないか?」
「いいぞ、どうせ全員殺すからな。しかし、何故その男を?」
「私の尊厳を、あの男は踏みにじった。けじめをつける必要がある」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 

「クソッ、なんだよ、なんだよあの人間!」
 荒い息を吐きながら、ダグは最上階への階段を駆け上がっていた。
「クソッ、クソッ」
 ダグは走っていた。
「人間の中に強い奴がいるとは聞いていたが、あんなに強いとは聞いていない!」
 最上階に辿り着くと、ダグは部屋中の布を掻き集め、即席の落下傘を作り上げる。そして、ためらうことなく窓から飛び出した。
「女は置いてきちまったけど、非常時だ、仕方ねえよな」
 落下傘を使って飛び降りるのは、ダグにとって人生で初めてのことだった。ただ無事に着地することだけを考え、必死に布を操作する。
 そうして着地した先には、
「……女?」
 アドマイアとサリエ、そしてアテラがいた。
 アテラは剣を腰に携え、一歩前に進み出て言った。 
「貴様、よくも私を陵辱してくれたな。剣の錆にしてくれる」
「はっ? お前、は? どういう……」
 言い終わる間も無く、アテラは目にも止まらぬ速さで剣を抜き、次の瞬間には、二十等分にされたダグの塊が出来上がっていた。断面から血が噴き、バラバラと肉の塊が崩れ落ちていく。
「見事な剣技だ……」
 アドマイアが、思わず感嘆の声を漏らす。一方でサリエは露骨に顔をしかめた。
「げ……アドマイアの殺し方はもう少しこう……原型を留める感じだったぞ」
 サリエは苦々しい顔で言ったが、アドマイアは構わずアテラへと問いかける。
「アテラ、奴に後悔する時間は与えなくてよかったのか?」
「いい。一刻も早く殺したくてたまらなかったんだ」
 アテラは静かに剣を鞘に収めた。しかし次の瞬間、アテラの表情が歪んだ。そして堪えきれず、その場に崩れ落ち、声を震わせた。
「アドマイア……どうしよう、私は……妊娠しているかもしれない、妊娠などしていたら、私はどうしたらよいのだ……」
「アテラ……」
「私は子など産みたくない! ましてやあんなに気持ちの悪い屑との子など! クソ、私が女でさえなければ!」
 アテラは顔を伏せ、地に向かって叫んだ。あまりにも絶望に満ちた嘆きだった。アドマイアは必死にかける言葉を探すが見つからず、ただただ沈痛な面持ちで立ち尽くした。しかしサリエは違った。サリエはいつもの淡々とした調子で言った。
「安心しろ。私は薬も少しわかる。苦痛なく堕ろせる薬を作ってやろう。お前は自分の性別を恨む必要などない」
「なんだと……?」
 アテラは信じられないという顔でサリエを見上げた。その言葉に、アドマイアは顔を輝かせた。
「サリエ! そんなことができるのか!」
 しかしアテラは、依然として不安げな顔のままだった。
「サリエ、お前は、堕胎を肯定するのか? 命を、殺すのだぞ?」
「望まない命なのだろう? 仮に妊娠していたとして、産むのはお前だ。お前の選択を尊重しよう」
「サリエ……!」
 アテラの顔が明るくなる。アテラは目を潤ませ、サリエの手を取って、力強く握った。
「うわっ」
「私はお前のことをずっと誤解していた。見直したぞ、サリエ!」
「はあ?」
「ありがとうサリエ! 本当に感謝するぞ、サリエ! サリエ!」
「なんなんだお前は!?」
 この瞬間、二人の間に固い友情が生まれた。その様子を、アドマイアは満足げに眺めた。

 

 その後もアドマイアは、捕えられた人間達を解放しながら、隠れている竜人を見つけては次々と殺していった。母親を殺した者を見つけ出しては殺し、父親を殺した者を見つけ出しては殺し、ゾモを殺した者を見つけ出しては殺し、メルレを殺した者を見つけ出しては殺し、カリエルを殺した者を見つけ出しては殺し、テノを殺した者を見つけ出しては殺し、アテラの父親を殺した者を見つけ出しては殺し、アテラの母親を殺した者を見つけ出しては殺し、シノの父親を殺した者を見つけ出しては殺し、シノの母親を殺した者を見つけ出しては殺し、三人の若い竜人を殺した者を見つけ出しては殺し、

 やがてアドマイアが我に返った時、城内には、もはや誰ひとり残っていなかった。

「これは……」
 アドマイア一行が最上階へと辿り着くと、そこには高価な紙に走り書きされた、「屋外闘技場で待つ」との一文が残されていた。
「王からの果たし状か」
「よほど自信があるようだな」
「どうだかな」
「なんにせよ、行くしかあるまい」
 アドマイアはアテラとサリエを抱えると、窓から飛び降り闘技場を目指した。

 

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「遅かったな、人間」
「数が多かったものでな」
 アドマイアとアテラ、サリエは、堂々と闘技場の中心へと歩を進めた。
 そこは巨大な円形型の闘技場だった。すでに客席は満員で、その中央には、鱗の生えた筋骨隆々の男が上半身裸で待ち構えていた。足元には、棘のついた巨大な鉄球が置かれている。
「貴様がこの国の王か」
「そうだ。この俺こそが竜人の王、ゲロイアだ」
 その宣言と共に、客席から歓声が湧き上がる。観客の多くは、成人した男たちだった。
「人間、光栄に思え。貴様はこの俺、ゲロイア様が直々に相手をしてやる、数少ない存在なのだからな」
 尊大な声が響く。それに対し、サリエが口を挟んだ。
「ゲロイアといったか、お前はなぜこのような方法をとる?」
「はあ? どういう意味だ」
「お前がアドマイアに惨たらしく負けるのは目に見えている。だというのに、なぜお前はわざわざ多くの民衆の前で恥を晒すことを選ぶのかと聞いている」
「俺をその他大勢の雑魚共と同じだと思ってるのか? そいつらは弱いから負けたんだ。俺はそいつらとは違う。俺はこの国で誰よりも強い!」
 再び歓声が巻き起こる。アドマイアの隣でアテラが囁く。
「確かに……これまでの敵とは纏う気配が違う。油断するな、アドマイア」
 ゲロイアはアドマイアに向かって言った。
「貴様のように頭のおかしい人間は都合がいい! 心置きなく惨殺できるからな!」
 観客席からさらに、同意の歓声が上がった。それにアテラは憤り、目を見開いた。
「誰が頭のおかしい人間だ! アドマイアは正気のまま、貴様らを裁いているのだ!」
「いきなり他国に乗り込んできて、罪のない兵士たちを皆殺しにしておいて、頭がおかしいと以外になんと言えば?」
「罪のないだと? 貴様らが我々人間にどのような仕打ちをしてきたのか、知らないとは言わせない! 私にアドマイアほどの力があれば同じようにしていた!」
「アテラ、構わない」
 アドマイアは静かに制した。
「アテラ、私はなんと言われようとも構わない」
「アドマイア! ……そ、そうだな。お前の品位は、あんな下劣な者の言葉ごときで揺るぎはしない!」
「そうではない。私は今この時において、己の品位などどうでもよいのだ!」
「アドマイア……!」
 アドマイアはゲロイアを見据え、宣言する。
「竜人の王よ! 私は今、私的な復讐のために、貴様を殺しにやって来た!」
 アドマイアは続けた。
「我が家族、友人、隣人は、貴様の国の者に惨殺された! その元凶は貴様だ! この恨み、ここで晴らさせてもらおう!」
 ゲロイアは嘲るように笑った。
「元凶は俺だと? 笑わせる。俺はただ統治をしていただけだぞ? 民が勝手に殺したんだ。お前の大切なお仲間さんを殺したのは俺じゃあない」
「貴様は民に人間への憎悪を植えつけた! それだけで十分だ!」
 アドマイアは拳を握った。
「貴様に人倫を説き、反省を求めても無駄であることは知っている! ならばせめて、貴様には恐怖に満ちた死を与えよう! これが私にできる、最上の弔いだ!」
「はっ! 何が恐怖に満ちた死だ! 恐怖に泣き叫ぶのは貴様の方だ、このクソ人間!」

 

 その瞬間、客席からこれまでにないほどの歓声が湧き上がり、ゲロイアは勢いよく鉄球の鎖を振り上げた。その鉄球はこの世の全てを吹き飛ばす速さで飛んでいき、目の前の女の頭に命中した!

 

……はずだった。

 

 ゲロイアは地面に倒れ伏していた。頭のおかしい、あの人間の女は、ゲロイアに近づいてすらいなかった。
 

 手足が痺れる。息が苦しい。どういうことだ。どういうことだ。

 

 ゲロイアが困惑する一方で、アドマイアもまた困惑していた。アテラも、サリエも。
 ゲロイアが倒れている。それも、アドマイアが何もしていないうちに。ゲロイアの背中には一本の矢が深く突き刺さっていた。ゲロイアの顔色はみるみるうちに青ざめ、口からは白い泡が溢れ出した。
 困惑しながらも、アドマイアの目は捉えていた。直前に、客席から放たれた矢が飛来する瞬間を。しかし、アドマイアの頭は疑問符で満ちていた。この矢は一体誰が? なぜ?
 唯一、サリエだけが、すべてを理解したようにため息をついた。そして、客席に向かって言った。
「矢を放ったお前、そう、お前だ、そこにいるお前。出てこい。出てきて皆に説明してやれ」
 ざわつく客席の中から、暫くして、一人の男が現れた。捲った袖の下からは、輝く鱗が覗いている。竜人の男だった。闘技場の中央に来ると、男は口を開いた。
「俺です。矢を飛ばしたのは」
 その瞬間、観客席が騒然となった。怒号と驚愕が飛び交う。
「貴様ら、こいつは話をしてくれるそうだぞ。まずは話を聞いたらどうだ」
 サリエが言う。しかし客席の声は収まらなかった。それどころか、声はより激しくなるばかりだった。しかし、その時だった。
「黙れ!!!!!!」
 アドマイアが大喝した。地面が割れるほどの衝撃に、客席は一気に静まり返った。
 それから、アドマイアは男に向かって静かに言った。
「矢を放ったのはお前か。説明してくれないか。お前は何者で、なぜこのようなことをしたのか」
 男は素直に答えた。
「はい。ええと、人間……多分あなたのことだと思うんですけど、あなたに王を倒すよう頼んだ竜人が三人いたでしょう? 一人が女性で二人が男だったと思うんですけど。俺はあのうちの男の一人の……そいつの恋人です」
「何?」
「恋人を殺されて、っていうかその前に恋人は国を追放されてもいて、俺も王が憎かった。だから殺した。それが一番の理由です」
「なんと……そうだったのか……」
 アドマイアが驚きの声を上げる。
「ていうかそうじゃなかったとしてもこいつが王っていうのは普通にあり得ないですよ。同性愛者はどれだけ痛めつけてもいいと思ってるし。女性のことは普通に見下してるし。自分に不都合なことを言う人は国外追放だし。人間とだって仲良い方が良いに決まっているでしょう。側近にしてたくさんお金をあげるのは自分を持ち上げてくれる人だけ。それも異性愛者の男に限る。国民の生活なんてどうでもよくて、自分が気持ちよくなることしか考えてない。自分とごく少数の人しか得しない気持ちの悪い理想に酔って、そのためにその他大勢を犠牲にして、何か偉いことをした気になっている。ああゲロイア、国民が皆あなたのことを尊敬していると本気で思っていますか? 思っていますよね。あなたの耳には都合のいい言葉しか入ってこなくて、それ以外は全部嘘の知らせか気狂いの戯言なんですから。ていうかそういう都合の悪いことを言う人は皆処刑したんですから。まああなたみたいな明らかな不適格者を為政者として受け入れている国民も大概まともじゃないですが、これだけ人がいれば愚かな国民も一定数いるわけで。ていうかまともな人は皆あなたが殺したり追放したりしてるから、皆愚かなふりをするしかないみたいな側面もあるわけで。ていうかずっと男男男男うるさいんですよ。真に優れた男とか真の竜人とかも訳わからないですし。そんなのてめえが定義するなって話なわけで……」
「貴様ァ……!」
「俺がどのくらい恋人のことを好きだったかわかりますか? 俺がどのくらい恋人の仕事を尊敬していたかわかりますか? ゲロイア”元”王、心配しなくても、あなたに気付かれないように水面下で繋がっている同志はたくさんいますから、次の政治は俺たちが責任持って行いますよ」
 男は淡々と言った。冷淡な眼差しでのたうち回る王を一瞥し、それからアドマイアの方を向いた。
「あの毒矢……はじめは即死する毒を使おうと思っていたんですが、あなたの話を聞いて気が変わりました。やっぱりこいつは、苦しんで死んだ方がいい。だから直前で、ゆっくり効く毒に変えました。だからほら、まだこいつ、生きているでしょう?」
 そう言うと男は、矢を抜き、ゲロイアを仰向けにして寝かせた。ゲロイアにはまだ微かに息があった。ゲロイアは目を見開いて男を凝視した。男はゲロイアの目を見返して言った。
「この毒は遅いですが絶対に効きます。解毒薬はありません。あなたはここで絶対に死にます。完全に効くにはもう少し時間がかかるので、もう少し苦しんでください」
 今のゲロイアには威厳も尊厳もなく、ただ呻きながら、ゆっくりと、確実に死に向かっていった。この場にいる民衆は、誰一人としてゲロイアを助けなかった。彼らの多くは、ゲロイアの思想に染まっていた。ゆえに、弱者となったゲロイアは失望と軽蔑の対象となった。やがてゲロイアが息を引き取ると、否、息絶える前から、一人、もう一人と、客席から人影が消えていった。

 

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 穏やかな風が吹き抜ける、暖かな日の下。アドマイアとアテラ、そして生き残った村人達は、墓の前でゆっくりと、長い、長い、黙祷をした。
「……これで全員分、終わったな」
 アドマイアが低く、静かに言った。
「みんな、この人数でよく頑張ってくれた」
「アドマイア……」
 アテラは堪えきれず涙を零し、アドマイアの胸に飛び込んだ。
「大変な惨劇だった。本当に大変な惨劇だった。しかしアドマイア、お前のおかげで私達は救われたよ。本当に、本当にありがとう」
 アテラに続いて、他の村人達もアドマイアに抱きつき、涙を流した。しかし、アドマイアは重い面持ちのまま、静かに言葉を返す。
「しかし、私は多くの者を救えなかった」
「それでも、私達は救われた」
「お前達……」
「アドマイア、お前は十分に闘ってくれたよ。十分すぎるくらいに」

 

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「アドマイア、竜人達から詫びの品が届いた。それと、平和の誓いを結びたいと。村の再建のための人員も派遣したいそうだ」
「おお、そうか」
「アドマイア、これは受け取るべきだろうか……」
「お前はどう思うのだ、アテラ?」
「私は……受け取って良いと思う。竜人達は変わった。今の竜人はかつての邪悪な者とは違う。共に新たな一歩を踏み出すのは、悪くない決断だと思う」
「ならば受け取れば良い。村の行く末を決めるのは、村の者たちだ」
「まるでお前が村の一員ではないかのような言い方だな」
 アテラは笑った。しかしアドマイアは一瞬寂しげに表情を曇らせ、それでもすぐに穏やかな笑みに戻り、静かに言った。
「そうだな。私はもう、元の持ち主に肉体を返さねばならない」

 

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 村の広場の中央。陽光が降り注ぐ中、アドマイアは、地面に描かれた大きな魔法陣の中心に横たわっていた。その周りでは、サリエと、アテラをはじめとした村人の全員、そして新たな竜人の長とその側近たちが集まり、静かに見守っている。中には既に涙を流す者もいた。
「まったく、この魔術はこんなだだっ広い屋外でやるようなものではないのだが?」
「最後くらいわがままを聞いてくれてもいいじゃないか、サリエ。皆がそう希望しているんだ。応えないわけにはいかないだろう?」
「ふん」
 アドマイアの横では、サリエが着々と魔術の準備を進めている。道具を並べながら、サリエは問いかけた。
「本当にいいのか、アドマイア? 元の赤子の魂など放っておいて、好き放題生きることだってできるのだぞ?」
「いいのだ、サリエ。私はもう十分に生きた。私は本来この世界にいるべき存在ではないのだ。役目を終えたら大人しく去るべきだろう」
「……あまりそういう言い方をするものではないぞ」
 サリエは最後の道具を置き終えると、アドマイアを囲む全ての人に言った。
「準備はできた。これより儀式を始める。最後にこいつに言いたいことがあるなら、今のうちに言っておけ」
 サリエがそう言うと、皆は次々とアドマイアに感謝の言葉を口にした。皆が大声で言うものだからサリエはやや顔をしかめたが、すぐに平素の無表情に戻り、アドマイアに言った。
「安心しろ。お前の功績は私が書き留めておいてやる」
「……要らないが」
「私達には必要なんだよ」
 横からアテラが言った。それから、アテラは優しく続ける。
「アドマイア、本当にありがとうな」
「ああ、こちらこそ。良い人生を送らせてくれて、ありがとう」
「向こうでシノにもよろしく伝えておいてくれ」
「ああ」
 それから儀式は厳正に執り行われた。サリエが呪文を唱えると、アドマイアの身体が一瞬、優しく光った。それからもサリエは呪文を唱え続け、皆はただ静かにそれを見守った。暫くしてサリエが儀式の終わりを告げると、アテラはアドマイアに駆け寄り、手を握った。アテラが握ったアドマイアの手は、すでに冷たくなっていた。
 その後アドマイアが宿った肉体は丁寧に埋葬され、その墓は皆が持ち寄った花や食べ物でいっぱいになった。こうしてアドマイアの生は終わりを迎えたが、その後もアドマイアの物語は後世に語り継がれた。

 

おしまい!
 

 

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